2016年04月16日

日本の50's、オールディーズファンにはリアルも今も印象が薄い、アメリカのリアルタイムのトップアイドルだったサンドラ・ディー





当サイト運営者、映画「アメリカン・グラフィティ」や「グリース」で名前が出てくるので、とても古のアメリカンアイドル、サンドラ・ディーに興味を持っております。

唯、これはサンドラ・ディーに限りませんが、日本人の好む「外人の顔」とアメリカ人好みの顔って、男女とも違うようで、サンドラ・ディーは、リアルタイム当時も昨今の50's好き、オールディーズ好きにも、日本ではあまり人気がないですね。

そもそもサンドラ・ディーが、アメリカで人気者になるきっかけになったそうな1959年の映画「ギジェット」は日本未公開↓。



又、当サイトでも再三ふれておりますが、1960年代初頭にアメリカで流行ったサーフィン映画は、日本では当時、まったくと言っていいほど流行っておらず、又、今でこそ古のアメリカンバンドと評価されてるザ・ビーチボーイズですが、当時の日本ではそれほど人気のあるバンドではなかったですし、日本で「サーフィン」という言葉が一般的に普及するのは1964~65年頃で、それもスポーツのサーフィンではなく音楽、ダンスステップのサーフィン。

又、サンドラ・ディーンの出世作にもなった1959年の映画「避暑地の出来事」も、日本では主題歌の「夏の日の恋」は有名ですが、あまり知られてる映画とは言えず、更にその後サンドラ・ディーは、アイドル人気絶頂時の19才でボビー・ダーリンと結婚&出産。

アメリカではかなり話題だったようですが、あまりリアルタイム当時の日本で話題になった記録も残っておらず、「避暑地の出来事」で競演したトロイ・ドナヒューとともに、1960年代半ばになるとサンドラ・ディーはアメリカでも人気が下降。

結局、1970年代になって、当時無名だったジョージ・ルーカスの出世作「アメリカン・グラフィティ」で、眼鏡のテリー(チャールズ・マーティン・スミス)がデビー(キャンディ・クラーク)を車からナンパする時、コニー・スティーブンスに似てると声をかけ、デビーは自分ではサンドラ・ディーだと思うけどという会話のやりとりで、サンドラ・ディーはアメリカで「名前」が復活、、、

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おそらくアメリカ人はサンドラ・ディーという名前に、懐かしさと自分の若い頃、幼い頃を思い出し笑ったシーンだと思いますが、日本人にはコニー・スティーブンスもサンドラ・ディーも、ピンとくる名前ではなかったと言えます(今もかな?)。

まあ、サンドラ・ディーのご主人だったボビー・ダーリンをケヴィン・スペイシーが演じ、サンドラ・ディーをケイト・ボスワースが演じた2004年の映画「ビヨンド the シー 夢見るように歌えば」(Beyond the Sea)も、日本でヒットした形跡がないので、やはりサンドラ・ディーに対する思い入れは、日本人とアメリカ人では、異なるのだと思われますね。



posted by 麻呂 at 15:47| 映画 映画音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

ジョン・レノンが参加した1969年のカナダトロントでの、R&Rリバイバルコンサートでのチャック・ベリー



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ザ・ビートルズ解散前のジョン・レノンが、自身のプラスチック・オノ・バンド(ギター、エリック・クラプトン)で参加し、後にレコード化されたので有名な、1969年カナダ、トロントで行われたR&Rリバイバルコンサート、「Live Peace In Toronto」。

このイベントには古のロックンローラーも多々出演しており、こちらはチャック・ベリーのステージ。

客席が時代的にヒッピー、フラワームーブメントだったので、こちらカナダでも長髪の「それっぽい」若者達が目立ちますが、これはアメリカのウッドストックでのシャナナ登場の映像でもわかりますが、世の中は当時は「こっちの方」が普通であり、合い言葉は「ピース」。

アメリカが介入したベトナム戦争が泥沼下してたのが、この合い言葉のルーツなわけですが、思えば今も中東情勢はわけわからない混沌とした状態なわりに、音楽と「ピース」の合い言葉では、何も解決できなくなってます。

まあ、このへん話しが脱線すると長くなるのでやめにして、、、

R&Rリバイバルの機運は1960年代後半には、既にこうして起きており、それが華開いて大爆発するのが、1973年の映画(日本公開は1974年)「アメリカン・グラフィティ」だったわけですが、既に世界ではチャック・ベリーはじめ古のロックンローラー達が見直され、そして注目されていたんですね〜!。





posted by 麻呂 at 06:42| チャックベリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月09日

ある世代にはルーシーでお馴染み!ルシール・ボールとジンジャー・ロジャース、ジンジャー・ロジャースとマリリン・モンローの関係



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フレッド・アステアとの競演、ダンスで有名なジンジャー・ロジャースは1930年代から女優、ダンサーとして活躍されていた女性で、↑こちらケーリー・グラント演じる博士の奥様を演じた1952年の「モンキー・ビジネス」(日本未公開)時は、既に40才を越えておりましたが、相変わらずの!身のこなし、ダンスであります。

そしてこの映画には「売り出し中」だったマリリン・モンローも出演しており↓、この映画の2年後1954年、人気絶頂時に、ニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオとの新婚旅行で来日、日本中大騒ぎになったと伝わっております。



というわけで時代的に映画「モンキー・ビジネス」やモンロー来日は、正に!アメリカ発、世界中で大ブームになったR&R(R&B)ブームが炸裂する直前。

ジンジャー・ロジャースは、それこそ禁酒法のアル・カポネの時代からチャールストンを踊っていた女性であり、当サイトで再三繰り返しておりますが、R&R(R&B)の歴史はダンスミュージックの歴史でもあり、R&R(R&B)以前のソレはジャズ。

アル・カポネの時代、チャールストンの時代から女性ダンサーとして一世を風靡していたジンジャー・ロジャースは、そんな歴史で欠かせない女性で、彼女の名前は2016年現在、50代60代の方にはルーシーでお馴染み!ルシール・ボールは、1935年に人気絶頂だったフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの映画「ロバータ」で、ファッションモデル役で認められ、名を知られるようになったそうで、それはルーシーで世界的に有名になるかなり昔の話し。

で、そのテレビシリーズのルーシーで、ジンジャー・ロジャースはゲスト出演し、ルシール・ボールとダンスを踊ってます↓。







posted by 麻呂 at 22:41| アメリカ TV テーマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん