2016年05月14日

アンダーグラウンドだったアフリカンアメリカンのブルースを、今のように当たり前に世界に広めたイギリス白人ザ・ローリングストーンズとクリーム、エリック・クラプトンの大功績!









1964年、イギリスはリヴァプールのザ・ビートルズが、イギリス勢初の!全米ビルボードチャートNo1ヒットを「抱きしめたい」で獲得。

ザ・ビートルズは初のアメリカ遠征に行き、前人未到の大歓迎をうけ全米中にビートルズ旋風を巻き起こし、音楽の歴史が変わったわけですが、当然イギリスの音楽業界は「二匹目のどじょう」を狙い、次々とアメリカにイギリスのバンドを売り込み、ザ・ビートルズに次いでジ・アニマルズの「朝日のあたる家」が全米ビルボードチャートで1位を獲得。

ザ・ビートルズはアメリカのR&R、R&Bは好んでカヴァーしてましたが、ブルースのカヴァーはなく、ジ・アニマルズ、そしてこの後、1965年「サティスファクション」で全米ビルボードチャート1位に輝いたザ・ローリング・ストーンズはブルースのカヴァーを得意としており、日本は元より本家のアメリカの白人中産階級に、アフリカンアメリカンのブルースを知らしめたのは、このイギリスの2バンドだったと言えます。

特にザ・ローリング・ストーンズのファーストアルバムは、イギリス盤もアメリカ盤もオリジナルの「テルミー」以外は全て!R&R、R&B、ブルースのカヴァーであり、これは今や当たり前に世代を越えて誰もが聴き覚えのあるザ・ビートルズのR&R、R&Bカヴァーで有名になった曲しかりで、初期のザ・ローリング・ストーンズのマニアックな(当時は)選曲のカヴァーで、R&Bやブルースを初めて知った人というのは、実はとても世界で多かったんです。

まあ、ザ・ビートルズ旋風とそれに付随して起きたイギリスのバンドブームも、ちょっとアメリカで沈静化し、されどイギリスのバンドがアメリカで(そして日本含め世界で)知られる、人気になるのはもはや当たり前になりつつあった1966年、イギリスでジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、エリック・クラプトンの3人からなるクリームがデビュー。

デビュー当時はアメリカでも世界でもさほど知られていなかったクリームでしたが、1967~68年になると積極的なアメリカレコーディングやアメリカツアーが功を奏し、クリーム、特にエリック・クラプトンはカリスマ的な人気者になり、そして彼等クリームがまたマニアックなブルースの選曲をしており(多分、クラプトンの趣味)、クリームのアルバムやライブでブルースナンバーを知り、そしてその大元の本家アフリカンアメリカンのブルース、およびブルースマンを知ったというのは、当時の普通のロックファンの定石でした。

今、普通にマディ・ウォーターズだハウリン・ウルフだロバート・ジョンソンだと、ジャズの高名な方々と同じようにビッグネームとして老いも若くもロックファン、音楽ファンはブルースマン、そしてブルースナンバーを語りますが、それがアメリカのアフリカンアメリカン達は別にして世界で一般的になったのは、イギリスの白人青年ザ・ローリング・ストーンズとエリック・クラプトンが、ポップシーンで有名になり、そして自分達の音楽のルーツはブルースであると、インタビューで述べてからなのであります。







posted by 麻呂 at 15:53| ブルース R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月30日

シカゴのチェス・レコードをモデルにした映画「キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語」



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当サイトでも再三再四とりあげております。マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリー等々、ブルース、R&Rシーンのレジェンドが在籍していたチェス・レコード。

ポーランドからシカゴに移住したレナード・チェス役を、「戦場のピアニスト」で有名なエイドリアン・ブロディが演じておりますが、彼のパパもポーランド系ユダヤ人で、ヒットラーナチスのホロコーストで家族を失っており、ハンガリー人とチェコ系ユダヤ人のハーフのママは、1956年のハンガリー動乱時にアメリカに亡命してきた、いかにもの家系をルーツにしてる彼は俳優。

そしてこの映画にエタ・ジェームズ役でも出演してるビヨンセ・ノウルズが、製作総指揮を担当。

お二人ともR&R(R&B)ブームの頃は生まれていなかった「若い」世代ですが、特にシンガーでもあるビヨンセは、自分の音楽ルーツには造形の深い女性なので、古のアメリカ音楽に興味、感心の深い方には注目の作品であります。

まあ、今となっては伝説のチェス・レコードですが、リアルタイム1950年代はまだ「黒人公民権法」も制定されてなかった、人種差別がアメリカは「普通」のお国だったので、メンフィスのサンレコードのサム・フィリップス同様レナード・チェスも、さぞや「肌の色の黒い」ミュージッシャン達のレコードを製作、売り込む為には苦労があったわけで、、、

実際にチェス・レコードとそこに在籍するブルースマンを今のように有名にしたのは、これも当サイトでも再三再四紹介しておりますが、1960年代になってから、ザ・ビートルズを皮切りにしたイギリス勢の台頭で、ザ・ローリング・ストーンズや若きエリック・クラプトンのクリーム等がブルースをカヴァーしたり、自分達の音楽的影響はブルースにあると、イギリスの「肌の色の白い」ミュージッシャン達の発言から。

まあ、アメリカは歴史の浅い国ですから、ジャズ、ブルース、C&W、R&R、R&Bの歴史を遡ると、わりと「移民国家」アメリカの近代史がみえてきたりして、面白いんですね〜♪。





posted by 麻呂 at 00:27| 映画 映画音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月16日

日本の50's、オールディーズファンにはリアルも今も印象が薄い、アメリカのリアルタイムのトップアイドルだったサンドラ・ディー





当サイト運営者、映画「アメリカン・グラフィティ」や「グリース」で名前が出てくるので、とても古のアメリカンアイドル、サンドラ・ディーに興味を持っております。

唯、これはサンドラ・ディーに限りませんが、日本人の好む「外人の顔」とアメリカ人好みの顔って、男女とも違うようで、サンドラ・ディーは、リアルタイム当時も昨今の50's好き、オールディーズ好きにも、日本ではあまり人気がないですね。

そもそもサンドラ・ディーが、アメリカで人気者になるきっかけになったそうな1959年の映画「ギジェット」は日本未公開↓。



又、当サイトでも再三ふれておりますが、1960年代初頭にアメリカで流行ったサーフィン映画は、日本では当時、まったくと言っていいほど流行っておらず、又、今でこそ古のアメリカンバンドと評価されてるザ・ビーチボーイズですが、当時の日本ではそれほど人気のあるバンドではなかったですし、日本で「サーフィン」という言葉が一般的に普及するのは1964~65年頃で、それもスポーツのサーフィンではなく音楽、ダンスステップのサーフィン。

又、サンドラ・ディーンの出世作にもなった1959年の映画「避暑地の出来事」も、日本では主題歌の「夏の日の恋」は有名ですが、あまり知られてる映画とは言えず、更にその後サンドラ・ディーは、アイドル人気絶頂時の19才でボビー・ダーリンと結婚&出産。

アメリカではかなり話題だったようですが、あまりリアルタイム当時の日本で話題になった記録も残っておらず、「避暑地の出来事」で競演したトロイ・ドナヒューとともに、1960年代半ばになるとサンドラ・ディーはアメリカでも人気が下降。

結局、1970年代になって、当時無名だったジョージ・ルーカスの出世作「アメリカン・グラフィティ」で、眼鏡のテリー(チャールズ・マーティン・スミス)がデビー(キャンディ・クラーク)を車からナンパする時、コニー・スティーブンスに似てると声をかけ、デビーは自分ではサンドラ・ディーだと思うけどという会話のやりとりで、サンドラ・ディーはアメリカで「名前」が復活、、、

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おそらくアメリカ人はサンドラ・ディーという名前に、懐かしさと自分の若い頃、幼い頃を思い出し笑ったシーンだと思いますが、日本人にはコニー・スティーブンスもサンドラ・ディーも、ピンとくる名前ではなかったと言えます(今もかな?)。

まあ、サンドラ・ディーのご主人だったボビー・ダーリンをケヴィン・スペイシーが演じ、サンドラ・ディーをケイト・ボスワースが演じた2004年の映画「ビヨンド the シー 夢見るように歌えば」(Beyond the Sea)も、日本でヒットした形跡がないので、やはりサンドラ・ディーに対する思い入れは、日本人とアメリカ人では、異なるのだと思われますね。



posted by 麻呂 at 15:47| 映画 映画音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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