2016年05月28日

1963年のザ・ビーチボーイズの「サーフィンUSA」が流行った頃、未だアメリカでも日本でもザ・ビートルズはレコードすら発売されていなかった









当サイトでも再三触れておりますが、大瀧詠一氏と山下達郎氏の影響でザ・ビーチボーイズは1980年代以降、日本でもレジェンドとして語られるようになりましたし、彼等のアルバム「ペットサウンズ」は最高傑作と評されるようにもなり、我こそはザ・ビーチボーイズファンを名乗る方は「ペットサウンズ」の話しをよくします。

が、これは山下達郎氏も自身のラジオで述べておりましたが、サーフィンホットロッド時代のザ・ビーチボーイズを語らずして「ペットサウンズ」もないわけだし、サーフィンホットロッド時代がザ・ビーチボーイズが世に出た時代ですので、これを無視するのは、実にバカげた話し。

ザ・ビートルズの「サージェントペパー〜」を語り、ソレ以前の所謂「初期」のザ・ビートルズを語らないのと同じぐらいバカげた話し。

こちらの1963年のシングル第3弾!「サーフィンUSA」は、チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」を改作、ドゥ・ワップスタイルのコーラスを入れた事が、当時としてはかなり斬新なスタイルで、それまでサーフィンと言えばインストが基本で、ザ・ビーチボーイズも初期はインストのサーフィンをアルバムに収録しておりましたが、歌入りコーラス入りのサーフィンというのは、当時としてはかなり画期的なスタイルだったと言えるわけです。

で、1963年といえばアメリカでは未だザ・ビートルズ旋風は吹き荒れておらず(イギリスでは既に大人気だったが)、勿論!日本でもザ・ビートルズのレコードも発売されていなかった時代。



まあ、1964年のザ・ビートルズのアメリカ大旋風後、アメリカ側で彼等に対抗できるバンドはモータウンのR&Bグループと、こちらのザ・ビーチボーイズぐらいしかいなかったわけで、ザ・ビーチボーイズ、特に楽曲を主に担当してるブライアン・ウィルソンは、かなりのプレッシャーがあったと伝わっており、ザ・ビーチボーイズは1963年のセカンドアルバム「サーフィンUSA」から、1964~65年、アメリカでザ・ビートルズが大旋風を巻き起こしてる僅か3年の間に、9枚のアルバムを発表してます。

クリスマスアルバムやスタジオライブアルバムがあるとはいえ、まるで一時の日本の芸能界のアイドル歌手ばりのアルバム生産数。

ブライアン・ウィルソンはグループでのライブ活動をこの時期から早くも外れ、スタジオに籠もり、メンバーがライブツアーをやってる間に、スタジオミュージッシャンを集め「ザ・ビーチボーイズ」のオリジナルを作り続けたわけで、そのあとに「ペットサウンズ」がくるわけですから、その経由を語らずして「ペットサウンズ」もあったもんじゃない、、、。





posted by 麻呂 at 08:27| サーフロック&ビーチボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

アンダーグラウンドだったアフリカンアメリカンのブルースを、今のように当たり前に世界に広めたイギリス白人ザ・ローリングストーンズとクリーム、エリック・クラプトンの大功績!









1964年、イギリスはリヴァプールのザ・ビートルズが、イギリス勢初の!全米ビルボードチャートNo1ヒットを「抱きしめたい」で獲得。

ザ・ビートルズは初のアメリカ遠征に行き、前人未到の大歓迎をうけ全米中にビートルズ旋風を巻き起こし、音楽の歴史が変わったわけですが、当然イギリスの音楽業界は「二匹目のどじょう」を狙い、次々とアメリカにイギリスのバンドを売り込み、ザ・ビートルズに次いでジ・アニマルズの「朝日のあたる家」が全米ビルボードチャートで1位を獲得。

ザ・ビートルズはアメリカのR&R、R&Bは好んでカヴァーしてましたが、ブルースのカヴァーはなく、ジ・アニマルズ、そしてこの後、1965年「サティスファクション」で全米ビルボードチャート1位に輝いたザ・ローリング・ストーンズはブルースのカヴァーを得意としており、日本は元より本家のアメリカの白人中産階級に、アフリカンアメリカンのブルースを知らしめたのは、このイギリスの2バンドだったと言えます。

特にザ・ローリング・ストーンズのファーストアルバムは、イギリス盤もアメリカ盤もオリジナルの「テルミー」以外は全て!R&R、R&B、ブルースのカヴァーであり、これは今や当たり前に世代を越えて誰もが聴き覚えのあるザ・ビートルズのR&R、R&Bカヴァーで有名になった曲しかりで、初期のザ・ローリング・ストーンズのマニアックな(当時は)選曲のカヴァーで、R&Bやブルースを初めて知った人というのは、実はとても世界で多かったんです。

まあ、ザ・ビートルズ旋風とそれに付随して起きたイギリスのバンドブームも、ちょっとアメリカで沈静化し、されどイギリスのバンドがアメリカで(そして日本含め世界で)知られる、人気になるのはもはや当たり前になりつつあった1966年、イギリスでジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、エリック・クラプトンの3人からなるクリームがデビュー。

デビュー当時はアメリカでも世界でもさほど知られていなかったクリームでしたが、1967~68年になると積極的なアメリカレコーディングやアメリカツアーが功を奏し、クリーム、特にエリック・クラプトンはカリスマ的な人気者になり、そして彼等クリームがまたマニアックなブルースの選曲をしており(多分、クラプトンの趣味)、クリームのアルバムやライブでブルースナンバーを知り、そしてその大元の本家アフリカンアメリカンのブルース、およびブルースマンを知ったというのは、当時の普通のロックファンの定石でした。

今、普通にマディ・ウォーターズだハウリン・ウルフだロバート・ジョンソンだと、ジャズの高名な方々と同じようにビッグネームとして老いも若くもロックファン、音楽ファンはブルースマン、そしてブルースナンバーを語りますが、それがアメリカのアフリカンアメリカン達は別にして世界で一般的になったのは、イギリスの白人青年ザ・ローリング・ストーンズとエリック・クラプトンが、ポップシーンで有名になり、そして自分達の音楽のルーツはブルースであると、インタビューで述べてからなのであります。







posted by 麻呂 at 15:53| ブルース R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月30日

シカゴのチェス・レコードをモデルにした映画「キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語」



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当サイトでも再三再四とりあげております。マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリー等々、ブルース、R&Rシーンのレジェンドが在籍していたチェス・レコード。

ポーランドからシカゴに移住したレナード・チェス役を、「戦場のピアニスト」で有名なエイドリアン・ブロディが演じておりますが、彼のパパもポーランド系ユダヤ人で、ヒットラーナチスのホロコーストで家族を失っており、ハンガリー人とチェコ系ユダヤ人のハーフのママは、1956年のハンガリー動乱時にアメリカに亡命してきた、いかにもの家系をルーツにしてる彼は俳優。

そしてこの映画にエタ・ジェームズ役でも出演してるビヨンセ・ノウルズが、製作総指揮を担当。

お二人ともR&R(R&B)ブームの頃は生まれていなかった「若い」世代ですが、特にシンガーでもあるビヨンセは、自分の音楽ルーツには造形の深い女性なので、古のアメリカ音楽に興味、感心の深い方には注目の作品であります。

まあ、今となっては伝説のチェス・レコードですが、リアルタイム1950年代はまだ「黒人公民権法」も制定されてなかった、人種差別がアメリカは「普通」のお国だったので、メンフィスのサンレコードのサム・フィリップス同様レナード・チェスも、さぞや「肌の色の黒い」ミュージッシャン達のレコードを製作、売り込む為には苦労があったわけで、、、

実際にチェス・レコードとそこに在籍するブルースマンを今のように有名にしたのは、これも当サイトでも再三再四紹介しておりますが、1960年代になってから、ザ・ビートルズを皮切りにしたイギリス勢の台頭で、ザ・ローリング・ストーンズや若きエリック・クラプトンのクリーム等がブルースをカヴァーしたり、自分達の音楽的影響はブルースにあると、イギリスの「肌の色の白い」ミュージッシャン達の発言から。

まあ、アメリカは歴史の浅い国ですから、ジャズ、ブルース、C&W、R&R、R&Bの歴史を遡ると、わりと「移民国家」アメリカの近代史がみえてきたりして、面白いんですね〜♪。





posted by 麻呂 at 00:27| 映画 映画音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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