2016年05月29日

エリック・クラプトンの1974年のアルバム「461オーシャン・ブールバード」でのカヴァーで日本では有名になった、1958年のジョニー・オーティスの「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」









エリック・クラプトンが1974年のソロアルバム「461オーシャン・ブールバード」のA面3曲目にカヴァーした、ジョニー・オーティスの「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」(Willie and the Hand Jive)。

まあ、クラプトンがブルース・ブレイカーズ時代からカヴァーしたブルース系のナンバーは、ザ・ビートルズのR&R、R&Bのカヴァー、ザ・ローリング・ストーンズのR&R、R&B、ブルースのカヴァーと共に、彼等イギリスのロックミュージッシャン達がカヴァーした事で世界的に有名になった曲、ミュージッシャンが殆どで、こちらの 「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」(Willie and the Hand Jive)もジョニー・オーティスも、このアルバムの大ヒットによって、少なくとも日本では知られた人でしょう。

「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」(Willie and the Hand Jive)は1958年の曲だそうですが、当時の日本のロカビリーブーム、和製ポップス(洋楽メロディを日本語詞にのせるソレ)で、この曲がヒットした、ジョニー・キャッシュが人気があったという記録は、見当たりませんので。





曲は典型的なボー・ディドリービート、所謂ジャングルビートで、ボー・ディドリーもカヴァーしてますが、オリジナルはジョニー・オーティス。

ジョニー・オーティスはみての通り白人で、ギリシャ移民のようですが、黒人音楽に親しむ環境にいた白人だったそうで、このへんはエルビス・プレスリーしかりですが、当時の白人のR&R、R&B、ブルース、ジャズ系のミュージッシャンはこの手の経歴の方が、とても多いですね。

わりと親爺R&B、ソウル、ファンクファンに多いですが、肌が黒くないとR&B、ソウル、ファンクにあらずみたいな考えは、当サイト運営者は賛同できず、かなり当時の「人種差別」が普通だったアメリカでも、肌の色が白い人達が、色々な意味で当時の黒人音楽に貢献してるのは、ちょっと資料を調べるとすぐわかります。

肌の色の黒いエタ・ジェームス、ビッグ・ママ・ソーントン等をプロデュースしたのは、肌の色の白いジョニー・オーティスですし、プレイヤーとしてもジャズドラマー、ビッグバンドのバンマス、そしてR&Bの生みの親の一人としても(正確に誰がR&Bの生みの親なのかの定義はない)、だいたい歴史的に名前があがる方ですから。

で、ジョニー・オーティスはわりと最近、2012年に90才でお亡くなりになっております。



posted by 麻呂 at 07:22| ブルース R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月28日

1963年のザ・ビーチボーイズの「サーフィンUSA」が流行った頃、未だアメリカでも日本でもザ・ビートルズはレコードすら発売されていなかった









当サイトでも再三触れておりますが、大瀧詠一氏と山下達郎氏の影響でザ・ビーチボーイズは1980年代以降、日本でもレジェンドとして語られるようになりましたし、彼等のアルバム「ペットサウンズ」は最高傑作と評されるようにもなり、我こそはザ・ビーチボーイズファンを名乗る方は「ペットサウンズ」の話しをよくします。

が、これは山下達郎氏も自身のラジオで述べておりましたが、サーフィンホットロッド時代のザ・ビーチボーイズを語らずして「ペットサウンズ」もないわけだし、サーフィンホットロッド時代がザ・ビーチボーイズが世に出た時代ですので、これを無視するのは、実にバカげた話し。

ザ・ビートルズの「サージェントペパー〜」を語り、ソレ以前の所謂「初期」のザ・ビートルズを語らないのと同じぐらいバカげた話し。

こちらの1963年のシングル第3弾!「サーフィンUSA」は、チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」を改作、ドゥ・ワップスタイルのコーラスを入れた事が、当時としてはかなり斬新なスタイルで、それまでサーフィンと言えばインストが基本で、ザ・ビーチボーイズも初期はインストのサーフィンをアルバムに収録しておりましたが、歌入りコーラス入りのサーフィンというのは、当時としてはかなり画期的なスタイルだったと言えるわけです。

で、1963年といえばアメリカでは未だザ・ビートルズ旋風は吹き荒れておらず(イギリスでは既に大人気だったが)、勿論!日本でもザ・ビートルズのレコードも発売されていなかった時代。



まあ、1964年のザ・ビートルズのアメリカ大旋風後、アメリカ側で彼等に対抗できるバンドはモータウンのR&Bグループと、こちらのザ・ビーチボーイズぐらいしかいなかったわけで、ザ・ビーチボーイズ、特に楽曲を主に担当してるブライアン・ウィルソンは、かなりのプレッシャーがあったと伝わっており、ザ・ビーチボーイズは1963年のセカンドアルバム「サーフィンUSA」から、1964~65年、アメリカでザ・ビートルズが大旋風を巻き起こしてる僅か3年の間に、9枚のアルバムを発表してます。

クリスマスアルバムやスタジオライブアルバムがあるとはいえ、まるで一時の日本の芸能界のアイドル歌手ばりのアルバム生産数。

ブライアン・ウィルソンはグループでのライブ活動をこの時期から早くも外れ、スタジオに籠もり、メンバーがライブツアーをやってる間に、スタジオミュージッシャンを集め「ザ・ビーチボーイズ」のオリジナルを作り続けたわけで、そのあとに「ペットサウンズ」がくるわけですから、その経由を語らずして「ペットサウンズ」もあったもんじゃない、、、。





posted by 麻呂 at 08:27| サーフロック&ビーチボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

アンダーグラウンドだったアフリカンアメリカンのブルースを、今のように当たり前に世界に広めたイギリス白人ザ・ローリングストーンズとクリーム、エリック・クラプトンの大功績!









1964年、イギリスはリヴァプールのザ・ビートルズが、イギリス勢初の!全米ビルボードチャートNo1ヒットを「抱きしめたい」で獲得。

ザ・ビートルズは初のアメリカ遠征に行き、前人未到の大歓迎をうけ全米中にビートルズ旋風を巻き起こし、音楽の歴史が変わったわけですが、当然イギリスの音楽業界は「二匹目のどじょう」を狙い、次々とアメリカにイギリスのバンドを売り込み、ザ・ビートルズに次いでジ・アニマルズの「朝日のあたる家」が全米ビルボードチャートで1位を獲得。

ザ・ビートルズはアメリカのR&R、R&Bは好んでカヴァーしてましたが、ブルースのカヴァーはなく、ジ・アニマルズ、そしてこの後、1965年「サティスファクション」で全米ビルボードチャート1位に輝いたザ・ローリング・ストーンズはブルースのカヴァーを得意としており、日本は元より本家のアメリカの白人中産階級に、アフリカンアメリカンのブルースを知らしめたのは、このイギリスの2バンドだったと言えます。

特にザ・ローリング・ストーンズのファーストアルバムは、イギリス盤もアメリカ盤もオリジナルの「テルミー」以外は全て!R&R、R&B、ブルースのカヴァーであり、これは今や当たり前に世代を越えて誰もが聴き覚えのあるザ・ビートルズのR&R、R&Bカヴァーで有名になった曲しかりで、初期のザ・ローリング・ストーンズのマニアックな(当時は)選曲のカヴァーで、R&Bやブルースを初めて知った人というのは、実はとても世界で多かったんです。

まあ、ザ・ビートルズ旋風とそれに付随して起きたイギリスのバンドブームも、ちょっとアメリカで沈静化し、されどイギリスのバンドがアメリカで(そして日本含め世界で)知られる、人気になるのはもはや当たり前になりつつあった1966年、イギリスでジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、エリック・クラプトンの3人からなるクリームがデビュー。

デビュー当時はアメリカでも世界でもさほど知られていなかったクリームでしたが、1967~68年になると積極的なアメリカレコーディングやアメリカツアーが功を奏し、クリーム、特にエリック・クラプトンはカリスマ的な人気者になり、そして彼等クリームがまたマニアックなブルースの選曲をしており(多分、クラプトンの趣味)、クリームのアルバムやライブでブルースナンバーを知り、そしてその大元の本家アフリカンアメリカンのブルース、およびブルースマンを知ったというのは、当時の普通のロックファンの定石でした。

今、普通にマディ・ウォーターズだハウリン・ウルフだロバート・ジョンソンだと、ジャズの高名な方々と同じようにビッグネームとして老いも若くもロックファン、音楽ファンはブルースマン、そしてブルースナンバーを語りますが、それがアメリカのアフリカンアメリカン達は別にして世界で一般的になったのは、イギリスの白人青年ザ・ローリング・ストーンズとエリック・クラプトンが、ポップシーンで有名になり、そして自分達の音楽のルーツはブルースであると、インタビューで述べてからなのであります。







posted by 麻呂 at 15:53| ブルース R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん