2016年06月12日

クリント・イーストウッド初来日は1962年。日本でも人気爆発だったテレビ「ローハイド」の主演三人組での来訪だった



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1961年に、当時日本で最も人気の高かった外国人俳優と当サイト運営者は断定してます。人気テレビシリーズ「ララミー牧場」のジェス=ロバート・フラーが来日。

その翌年、「ララミー牧場」と並ぶ人気ドラマだった「ローハイド」のフェイバーさん=エリック・フレミング、ウイッシュボーン老=ポール・ブラインガーと共に、ロディ=クリント・イーストウッドは来日。

こちらも大歓迎、大盛況だったようで、既に来日してたロバート・フラーから、日本での凄い人気ぶりは聞いていたようですが、エリック・フレミングはそれでも、これほどとは思わなかったと当時の記者会見で述べてる通り、あの当時のカウボーイドラマ、「ララミー牧場」と「ローハイド」の日本での人気は凄まじかったです。

いや、日本だけでなくイタリアでも人気があったのでしょう。この後、クリント・イーストウッドはイタリア映画に招かれ「荒野の用心棒」で大ブレイクしましたからね〜。

唯、未だ20代だった当時日本で最も人気のあった外国俳優のロバート・フラーは、「ララミー牧場」以降、映画「続・荒野の七人」で、1作目でスティーヴ・マックイーンが演じたビン役をやって、ちょっと注目された程度で、いつしか日本では名前が忘れ去られてしまった感があり、既に当時三十路を越えていたクリント・イーストウッドが、「荒野の用心棒」を皮切りに大スターになり今に至ってるわけですから、誠に人生とはわからないものであります。



「ローハイド」では、ハリウッドの西部劇伝統だった、髭もちゃんとそってこざっぱりした二枚目カウボーイを演じてたクリント・イーストウッドでしたが、イタリア製西部劇の映画「荒野の用心棒」では、無精髭でニヒルな無頼漢の賞金稼ぎを演じ、これがその後、本国アメリカでも西部劇の主人公達のスタンダードスタイルになっているのは、ちょっと日本人は注目したい所。

クリント・イーストウッドは、日本の黒澤明監督の作品で「侍」「素浪人」役を演じ、世界的に人気だった三船敏郎氏を参考にして役作りをしたそうで、これはフランスのアラン・ドロンも同様で、当時の「クロサワ」「ミフネ」の影響を口にしておりますから、日本人としては誠に!誇らしい歴史的事実であります。

ちなみに「ローハイド」の頃からクリント・イーストウッドの吹き替え声優は山田康夫氏で、ポール・ブラインガーは後の「サザエさん」の波平でお馴染み、永井一郎氏。





posted by 麻呂 at 04:28| アメリカ TV テーマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月29日

エリック・クラプトンの1974年のアルバム「461オーシャン・ブールバード」でのカヴァーで日本では有名になった、1958年のジョニー・オーティスの「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」









エリック・クラプトンが1974年のソロアルバム「461オーシャン・ブールバード」のA面3曲目にカヴァーした、ジョニー・オーティスの「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」(Willie and the Hand Jive)。

まあ、クラプトンがブルース・ブレイカーズ時代からカヴァーしたブルース系のナンバーは、ザ・ビートルズのR&R、R&Bのカヴァー、ザ・ローリング・ストーンズのR&R、R&B、ブルースのカヴァーと共に、彼等イギリスのロックミュージッシャン達がカヴァーした事で世界的に有名になった曲、ミュージッシャンが殆どで、こちらの 「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」(Willie and the Hand Jive)もジョニー・オーティスも、このアルバムの大ヒットによって、少なくとも日本では知られた人でしょう。

「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」(Willie and the Hand Jive)は1958年の曲だそうですが、当時の日本のロカビリーブーム、和製ポップス(洋楽メロディを日本語詞にのせるソレ)で、この曲がヒットした、ジョニー・キャッシュが人気があったという記録は、見当たりませんので。





曲は典型的なボー・ディドリービート、所謂ジャングルビートで、ボー・ディドリーもカヴァーしてますが、オリジナルはジョニー・オーティス。

ジョニー・オーティスはみての通り白人で、ギリシャ移民のようですが、黒人音楽に親しむ環境にいた白人だったそうで、このへんはエルビス・プレスリーしかりですが、当時の白人のR&R、R&B、ブルース、ジャズ系のミュージッシャンはこの手の経歴の方が、とても多いですね。

わりと親爺R&B、ソウル、ファンクファンに多いですが、肌が黒くないとR&B、ソウル、ファンクにあらずみたいな考えは、当サイト運営者は賛同できず、かなり当時の「人種差別」が普通だったアメリカでも、肌の色が白い人達が、色々な意味で当時の黒人音楽に貢献してるのは、ちょっと資料を調べるとすぐわかります。

肌の色の黒いエタ・ジェームス、ビッグ・ママ・ソーントン等をプロデュースしたのは、肌の色の白いジョニー・オーティスですし、プレイヤーとしてもジャズドラマー、ビッグバンドのバンマス、そしてR&Bの生みの親の一人としても(正確に誰がR&Bの生みの親なのかの定義はない)、だいたい歴史的に名前があがる方ですから。

で、ジョニー・オーティスはわりと最近、2012年に90才でお亡くなりになっております。



posted by 麻呂 at 07:22| ブルース R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月28日

1963年のザ・ビーチボーイズの「サーフィンUSA」が流行った頃、未だアメリカでも日本でもザ・ビートルズはレコードすら発売されていなかった









当サイトでも再三触れておりますが、大瀧詠一氏と山下達郎氏の影響でザ・ビーチボーイズは1980年代以降、日本でもレジェンドとして語られるようになりましたし、彼等のアルバム「ペットサウンズ」は最高傑作と評されるようにもなり、我こそはザ・ビーチボーイズファンを名乗る方は「ペットサウンズ」の話しをよくします。

が、これは山下達郎氏も自身のラジオで述べておりましたが、サーフィンホットロッド時代のザ・ビーチボーイズを語らずして「ペットサウンズ」もないわけだし、サーフィンホットロッド時代がザ・ビーチボーイズが世に出た時代ですので、これを無視するのは、実にバカげた話し。

ザ・ビートルズの「サージェントペパー〜」を語り、ソレ以前の所謂「初期」のザ・ビートルズを語らないのと同じぐらいバカげた話し。

こちらの1963年のシングル第3弾!「サーフィンUSA」は、チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」を改作、ドゥ・ワップスタイルのコーラスを入れた事が、当時としてはかなり斬新なスタイルで、それまでサーフィンと言えばインストが基本で、ザ・ビーチボーイズも初期はインストのサーフィンをアルバムに収録しておりましたが、歌入りコーラス入りのサーフィンというのは、当時としてはかなり画期的なスタイルだったと言えるわけです。

で、1963年といえばアメリカでは未だザ・ビートルズ旋風は吹き荒れておらず(イギリスでは既に大人気だったが)、勿論!日本でもザ・ビートルズのレコードも発売されていなかった時代。



まあ、1964年のザ・ビートルズのアメリカ大旋風後、アメリカ側で彼等に対抗できるバンドはモータウンのR&Bグループと、こちらのザ・ビーチボーイズぐらいしかいなかったわけで、ザ・ビーチボーイズ、特に楽曲を主に担当してるブライアン・ウィルソンは、かなりのプレッシャーがあったと伝わっており、ザ・ビーチボーイズは1963年のセカンドアルバム「サーフィンUSA」から、1964~65年、アメリカでザ・ビートルズが大旋風を巻き起こしてる僅か3年の間に、9枚のアルバムを発表してます。

クリスマスアルバムやスタジオライブアルバムがあるとはいえ、まるで一時の日本の芸能界のアイドル歌手ばりのアルバム生産数。

ブライアン・ウィルソンはグループでのライブ活動をこの時期から早くも外れ、スタジオに籠もり、メンバーがライブツアーをやってる間に、スタジオミュージッシャンを集め「ザ・ビーチボーイズ」のオリジナルを作り続けたわけで、そのあとに「ペットサウンズ」がくるわけですから、その経由を語らずして「ペットサウンズ」もあったもんじゃない、、、。





posted by 麻呂 at 08:27| サーフロック&ビーチボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん