2016年10月08日

日本人とリトル・リチャードは、案外密接な歴史があるかもね〜!









2016年10月現在83才。2013年に引退表明したリトル・リチャード。

その強烈なシャウトはザ・ビートルズ時代のポール・マッカートニーはじめ、多くのハードロックやヘビーメタルバンドのシンガーに影響を与え、そして元々はゲイゆえか?未だグラムロックなんて言葉もない時代からメイクしてステージに登場、同じピアニストのロックンローラー、ジェリー・ルイスと共に、後のエルトン・ジョンやミッシェル・ポルナレフ等にも多大な影響を与えた演奏パフォーマンス等々、、、

又、1950年代後半、空前の大人気になった初期エルビス・プレスリーが、リトル・リチャードのカヴァーをかなりやっていた事を鑑みても、リトル・リチャードが世界のR&R(R&B)シーンに与えた影響は、計り知れないものがあります。

おそらく日本で彼の曲を誰もが知るきっかけになったのは、1960年前後の和製ポップス(洋楽メロディに日本語詞をのせるソレ)ブーム期に、鈴木ヤスシ氏がカヴァーした「ジェニ・ジェニ」でしょう。

例えば「ダイアナ」や「恋の片道切符」や「ルイジアナママ」等、日本語カヴァーも御本家も日本では大ヒットしておりますが、基本的に日本で大ヒットしたナンバーはポップスが殆どであり、例えばチャック・ベリーはロカビリー、和製ポップスブームのリアルタイム当時、日本では全く流行っておらず、かの!エルビス・プレスリーの「監獄ロック」の日本語カヴァーと、鈴木ヤスシ氏の「ジェニ・ジェニ」こそが!日本初の大ヒットR&Rナンバーだったと思っております。

で、リトル・リチャードの名前が日本でもちょっとした音楽ファンの間に定着するのは、やはり日本デビュー1964年のザ・ビートルズがカヴァーした「のっぽのサリー」、ロングトールサリーからで、若きポール・マッカートニー歌唱のザ・ビートルズの「のっぽのサリー」は、今や当たり前のナンバーですが、この曲のポールのシャウトとザ・ビートルズのある種パンキーな演奏は、当時の若者は度肝を抜かれるわけで、ザ・ビートルズで「のっぽのサリー」を知り、そのあとオリジナルのリトル・リチャードヴァージョンを聴いたわけで(これチャック・ベリーやバディ・ホリー等もしかり)、当サイト運営者に限らず、このパターンの方、日本中に沢山いると思われます。

1966年のザ・ビートルズの来日公演時、前座の1バンドだったザ・ドリフターズは、この「のっぽのサリー」を仲本工事氏歌唱で披露してますし、今や役者としてその人ありの岸部一徳氏のザ・タイガース時代の愛称はサリー。背が高いという事で、「のっぽのサリー」からこの愛称はついてます。



更にこの後起こった空前のグループサウンズブーム期、ザ・ゴールデンカップスがリトル・リチャードのこれも強烈なR&Rナンバー「ルシール」を、何故か?スローにしてアルバム「ブルース・メッセージ」に収録しており、更にこの後のニューロック時代に登場した天才!ジミ・ヘンドリックスが、無名時代にリトル・リチャードのバックをやっていたなんて話しが広まったり、当時のハードロック少年達の星!ディープ・パープルの初来日公演では、アンコールで「ルシール」をやっており、、、

1970年代初頭に世界中でおきた、おりからのR&Rリヴァイバル、オールディーズブームに乗って、他の多くのロックンローラーがそうであったように、リトル・リチャードも今のような確固たる!R&R(R&B)のレジェンドとして位置ずけられるようになったわけであります。

昨今ではジェームス・ブラウンが無名時代、当時既に大スターだったリトル・リチャードのショーとショーの間の休憩時間に、ステージにあがって歌唱とパフォーマンスを披露した事がきっかけで、売り出すようになったと、彼の伝記映画で、ジェームス・ブラウンとリトル・リチャードの関係も描かれており↓、、、



ジェームス・ブラウンを通じて、リトル・リチャードを再評価した方も、多々いたのではないか?と思う次第であります。





posted by 麻呂 at 18:17| リトルリチャード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月28日

1960年代初頭の「和製ポップス」ブーム期、日本では伊東ゆかりさんのカヴァー邦題「恋の売り込み」でヒットした、エディ・ホッジスの「 I'm Gonna Knock On Your Door」









まあ、エディ・ホッジスと言っても、2016年現在、リアルタイム思春期だった還暦前後から70才ぐらいの方でも、まーず知ってる人はいないと思いますが、伊東ゆかりさんの「恋の売り込み」と言って、曲を聴かせたら、おぼろげにわかる方は多々いるかものナンバー!。

↑こちらはそのエディ・ホッジスヴァージョンですが、1970年代初頭、日本でも女性人気が高かったオズモンズブラザーズのジミー・オズモンズもカヴァーしていたので、彼等のファンで、2016年現在、60才前後の女性なら知ってる曲かもですね。

1961年にエディ・ホッジスが歌いヒットし、当時の日本は和製ポップス(洋楽メロディに日本語詞をのせるそれ)全盛期でしたので、伊東ゆかりさんのカヴァーでヒットしたこの曲、元々は古のソウル、ファンク、R&Bファンにはお馴染み!、アイズレー・ブラザーズが1959年に発表した曲で、こちらが↓そのヴァージョン。



まあ、アイズレー・ブラザーズが日本で認知度が広まるのは、ザ・ビートルズでお馴染み「ツイスト&シャウト」をやっていたグループとしての1964年以降なので(ザ・ビートルズの日本でのレコードデビューは1964年なので)、リアルタイム伊東ゆかりさんがカヴァーした時、アイズレー・ブラザーズを知ってる人は、おそらく日本では殆どいなかったと思われます。

よって、この曲はやはり日本人にとっては伊東ゆかりさんのヒット曲なんですね、、、。







posted by 麻呂 at 18:14| 和製ポップスヒット 原曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

1964年東京オリンピックの年、ジュリー・ロンドン来日時の「バイバイ・ブラックバード」(Bye Bye Blackbird)









R&R、オールディーズファンには有名な「ルート66(Route 66)」の作曲家、ボビー・トゥループをご主人にもつジュリー・ロンドンの、ジャズファンにはお馴染み中のナンバー「バイバイ・ブラックバード」(Bye Bye Blackbird)。

このYouTube映像&音源、1964年東京オリンピック開催の年の、TBSが放映した『The Julie London Show』、日本でのもののようですね。

当サイトでも再三再四触れておりますが、ロカビリーブームがって和製ポップスブームがあっただけでは1960年前後の「ジャパニーズグラフィティ」は語れないわけで、そこには同じようにジャズやラテン、ハワイアン、イタリア、フランスの欧州系のポップスも入っており、当サイト運営者が幼少時、TVでは普通に歌謡芸能の世界の方々が、アメリカンポップスもジャズも欧州系ポップスも分け隔てなく歌っておりました。



ジュリー・ロンドンは、R&Rファンには有名な1957年の映画「女はそれを我慢できない」にも出演しており(元々は女優)、当時はジャズ歌手が流行りのロックンローラー達と同じ映画にでており、当サイトの主旨でもあります、R&R、R&B、ブルース、そしてオールディーズはジャズと密接な関係にあったと言えます。

そして日本でもジュリー・ロンドンは、とても当時は人気の高い歌手であった事は、来日時TVで特集番組を放映していたのですから、後世の人達でもわかると思われます。

【早い者勝ち!】 あなたのお名前、残ってる?


posted by 麻呂 at 06:53| JAZZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん