2017年02月06日

「タミー」のデビー・レイノルズは、娘のキャリー・フィッシャーが死んだ翌日この世を去った







2016年12月27日に映画「スターウォーズ」のレイア姫役で有名な、キャリー・フィッシャーが急死したのはニュースになりましたが、その翌日、彼女のママのデビー・レイノルズが脳梗塞で亡くなったのは、あまりニュースにならなかったですね。

オールディーズ、50'sファンにはお馴染み「タミー」↑は、若き日のデビー・レイノルズが放った大ヒット曲でした(全米チャート5週連続1位)。

 ちなみに日本でも、オールディーズ、50'というジャンルをその後、確実なものにした映画「アメリカン・グラフィティ」の監督、ジョージ・ルーカスは劇中にこちらの大ヒット曲「タミー」を使わなかったですが、結局、当初は映画会社に不評だったらしい「アメリカン・グラフィティ」の大ヒットによって、ルーカスは次の「スター・ウォーズ」を撮れ、そこでデビー・レイノルズの娘であるキャリー・フィッシャーをレイヤ姫に起用し、映画も彼女も大人気になったのですから、このへんK-UNITバンマス、色々思うところがりますねー。

 「スター・ウォーズ」のヒットがなかったら、あの「エイリアン」制作はなかったでしょうし。

時代ですね。70年代はそんな時代でした。 

ちなみにキャリー・フィッシャーが原作、脚本を手がけた自伝的映画「ハリウッドに口ずけ」の監督は、あのアメリカンニューシネマの金字塔「卒業」のマイク・ニコルズで、勿論「卒業」の挿入歌はサイモンとガーファンクルで、そのポール・サイモンとキャリー・フィッシャーは一時結婚してたのは、ファンの人には有名ですね。

というわけで最後に、キャリー・フィッシャーも出演していた名探偵ポアロ映画「死海殺人事件」↓。

 



posted by 麻呂 at 06:07| アメリカンポップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月03日

1960年代初頭ビーチパーティー映画に主演していたフランキー・アヴァロンは、1979年の映画「グリース」に出演していた。









日本で50's、オールディーズファンに人気があるとは思えないし、認知度も低いフランキー・アヴァロンなれど、この方1979年、ジョン・トラボルタ、オリビア・ニュートン・ジョン主演で日本でもヒットした映画「グリース」に登場してたほど、本国アメリカではサンドラ・ディーと共に、オールディーズと言えば欠かせない存在の方。

まあ、フランキー・アヴァロンが日本であまり人気がない、その手のファンの方々にも認知度が低い原因は簡単で、1960年代初頭当時、彼がアネット・ファニセロと共に主演してた青春ビーチパーティー映画が、上映された形跡がないからですね。



又、アネット・ファニセロも日本では認知度が低いのは、同じ理由でしょうね。彼女の「パイナップルプリンセス」は、日本では田代みどりさんが日本語でカヴァーし大ヒットしましたが、元歌が彼女だと知ってる人は少ないですし、日本の50'、オールディーズファンの間で、彼女の名前はフランキー・アヴァロン同様、まーず聞く事ないです。

というわけで、当サイトでも再三触れてますが、アメリカと日本では同じ50~60年代でも、ちょっと微妙にその想い出って違うんですよね。日本でヒットしてもアメリカでヒットしなかった曲もあれば、その逆もあり、又、このフランキー・アヴァロンとアネット・ファニセロのアメリカでは人気だった映画シリーズが、日本では上映されていたかどうかも怪しいという例もありますからね。




posted by 麻呂 at 10:23| 映画 映画音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

1976年のケントス創業とクールスレコードデビューで大貢献した、長髪の近田春夫氏









今も50's、古のディスコファンには人気のライブハウス、「ケントス」が六本木にできたのは1976年。

で、

元々は六本木のレストランで開かれた、オールディーズの音楽パーティーが発祥元だそうで、その時のパーティーバンドのメンバーが、 60年代には「若者たち」のヒット曲を放ったブロードサイドフォーの黒沢久雄氏、元ヴィレッジシンガーズの林ゆたか氏、そしてこの後ハルヲフォンを結成する近田春夫氏等だったそうで、この音楽パーティーで、ツイストを踊り熱狂するお客さん達をみて、オーナーは「ケントス」を作る事を決めたとか決めないとか、、、

そんな伝説が残っておりますが、、、

まあ、日本公開は当時は監督のジョージ・ルーカスも出てた役者も皆無名だった為、人気が爆発したアメリカより1年以上も遅れた1974年の秋に公開された映画、「アメリカン・グラフィティ」の影響でしょう。このパーティバンドの発想も、ツイストを踊ったお客さん達も、、、。

でも、彼等は当時、長髪にラッパ、ベルボトムのジーパンの若者達で、けっして昨今のR&Rバンド、オールディーズバンドのような衣装でも髪型でもなかったでしょうし、おそらくツイストを踊ってた方々もしかりでしょう。

時代が一変したのは、やはりケントス創業年にレコードデビューした、クールスですかねー。

勿論、それ以前からキャロルやダウンタウン・ブギウギバンドはリーゼント風の髪型してましたけど、基本的に彼等は長髪をポマードでバックに撫で付けたソレで、今や常識のダックテイル系のリーゼントと違い、襟足のリーゼントの美学(笑)はなかったですね。

だから!クールスが櫛目ばっちりのダックテイルのリーゼント姿でキャロルの解散ライブの警護役でTV初登場した時は、その黒塗りで揃えたバイクや洒落た黒の革ジャンともども、とても斬新だったわけであります。




で、

このクールスの1976年のデビューアルバムのアレンジャー、編曲は全て長髪の近田春夫氏で、クールスの代表曲でもある「シンデレラ」や「言えなかったんだ」の作詞作曲も近田春夫氏で、近田氏の作曲は計3曲。

更に解散したキャロルのジョニー大倉氏作曲が4曲、矢沢永吉氏が五大洋光と名前をかえ作曲した曲が、彼等のシングルデビュー曲でもある「紫のハイウェイ」他3曲。つのだ☆ひろ氏のスペースバンドのベーシスト、ヨモ・ヨシロー氏の作曲が1曲と、全12曲中11曲迄が、当時の所謂ニューロックの方々の手により作品で、唯一メンバーの作曲は、ジェームス藤木氏の「恋の炎は燃えて」1曲のみ。

唯、作詞は舘ひろし氏が8曲、村山一海氏とジェームス藤木氏が1曲ずつで、近田春夫氏の2曲の作詞以外は、メンバーが全12曲中10曲書いているのは、ちょっと面白いですね。



posted by 麻呂 at 14:54| 和製R&Rリバイバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん