2016年10月22日

原信夫とシャープス&フラッツの、SING,SING,SINGが、無茶苦茶カッコいい!!









大東亜戦争時は大日本帝国海軍軍楽隊で演奏していた、若き原信夫氏。

当サイトでも繰り返し述べてますが、大東亜戦争以前から日本にはジャズは入ってきており、戦後アメリカ進駐軍=GHQが日本にジャズを広めたというのは誤りで、唯アメリカと戦争していたので敵性音楽という事で、当時アメリカで大流行りだったジャズは、戦争中は禁止されていただけです。

大東亜戦争以前、1929年の映画音楽、西条八十氏作詞の「東京行進曲」で、♪ジャズで踊ってリキュルで更けて と、ちゃんと歌われてますから♪ ↓



まあ、原信夫氏に限らず大東亜戦争後、日本を占領統治にきた米兵将校相手に、彼等の娯楽の一貫でジャズを聴かせていた当時のミュージッシャン、ジャズマン達を抜きにして、戦後の所謂「昭和歌謡」、日本のR&RもR&BもC&W、カントリー、和製ポップス(洋楽メロディを日本語詞にのせたそれ)もあったものではなく、彼等こそが!戦後日本の昭和歌謡史の礎を築いた方々だったと、当サイト運営者は断言いたします。

で、

当時は当サイト運営者も子供だったので認識はしておりませんでしたが、原信夫とシャープス&フラッツは1960年代から1971年迄、年末のNHKの紅白歌合戦の演奏を担当しており、美空ひばりさんの専属バンドとしても活躍されてた有名なビッグバンド。

こちらの「シング・シング・シング」(Sing, Sing, Sing)も、大東亜戦争以前の1936年にルイ・プリマによって作曲された、スウィング・ジャズの代表曲の一つで、1938年にベニー・グッドマンが演奏して依頼、彼等の楽団でのテイクが、とても有名な日本でもとても人気の高い曲ですね。

で、正に!日本でロカビリーブーム、和製ポップスブーム華やかなりし1959年のNHK紅白歌合戦では、朝丘雪路氏がこの曲を歌っていたそうで、これも当サイトで幾度となく触れておりますが、ジャズとロカビリーブーム、和製ポップスブームを分離して考えるのは、或いは語るのは間違ってます。

当時のロカビリーブーム、和製ポップスブーム期、そのバック演奏をやっていたのは、ウエスタンバンドの他はジャズのビッグバンドであり、TV放映がはじまって久しい、TVが未だ珍しくて偉かった時代の歌謡芸能の世界の歌手の方々は、ジャズもラテンもロカビリーもポップスも、何でも同じように歌ってましたから。

まあ、それが真性ジャパニーズグラフィティなわけで、ジャズとジャズのビッグバンドを抜きにして、日本のロカビリーブーム、和製ポップスブームはあったものではなかったと断言できますし、特にこちらの「シング・シング・シング」(Sing, Sing, Sing)は、当時のビッグバンドの演奏するダンサブルなダンスホール、グランドキャバレー、ミルクホールで大人気だった曲。

特にベニー・グッドマン楽団のドラマー、ジーン・クルーパは、ザ・ヴェンチャーズのメル・テイラーやレッド・ツエッペリンのボンゾ、ジョン・ボーナム、キッスのピーター・クリス等のアイドルだったそうで、ロックシーンにも多大な影響を与えてる方で、大東亜戦争後、ジーン・クルーパは1952、1953年に来日しており、戦後のジャズブームの火付け役の一人とも伝わっており、、、

当時の日本でドラマーのジョージ川口氏、フランキー堺氏が人気だったのも、ジーン・クルーパのドラムブギ」、そして「シング・シング・シング」(Sing, Sing, Sing)の影響だったと、当サイト運営者は思っておりますし、石原裕次郎氏の1957年公開の日活映画「嵐を呼ぶ男」がドラマー役なのも(実際の演奏は白木秀雄氏)、ジーン・クルーパの二度の来日以降の、ドラマーブームの影響下にあったからでしょうね。

日本でも抜群の人気を誇ったアート・ブレイキーの初来日は1961年で、「嵐を呼ぶ男」より後ですし。

ちなみに「嵐を呼ぶ男」には、必殺シリーズの「婿殿」藤田まこと氏演じる中村主水の奥方、りつ役で有名な白木真理さんが、セクシーなダンサー、メリー丘役ででてます♪ ↓








posted by 麻呂 at 01:34| JAZZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

1964年東京オリンピックの年、ジュリー・ロンドン来日時の「バイバイ・ブラックバード」(Bye Bye Blackbird)









R&R、オールディーズファンには有名な「ルート66(Route 66)」の作曲家、ボビー・トゥループをご主人にもつジュリー・ロンドンの、ジャズファンにはお馴染み中のナンバー「バイバイ・ブラックバード」(Bye Bye Blackbird)。

このYouTube映像&音源、1964年東京オリンピック開催の年の、TBSが放映した『The Julie London Show』、日本でのもののようですね。

当サイトでも再三再四触れておりますが、ロカビリーブームがって和製ポップスブームがあっただけでは1960年前後の「ジャパニーズグラフィティ」は語れないわけで、そこには同じようにジャズやラテン、ハワイアン、イタリア、フランスの欧州系のポップスも入っており、当サイト運営者が幼少時、TVでは普通に歌謡芸能の世界の方々が、アメリカンポップスもジャズも欧州系ポップスも分け隔てなく歌っておりました。



ジュリー・ロンドンは、R&Rファンには有名な1957年の映画「女はそれを我慢できない」にも出演しており(元々は女優)、当時はジャズ歌手が流行りのロックンローラー達と同じ映画にでており、当サイトの主旨でもあります、R&R、R&B、ブルース、そしてオールディーズはジャズと密接な関係にあったと言えます。

そして日本でもジュリー・ロンドンは、とても当時は人気の高い歌手であった事は、来日時TVで特集番組を放映していたのですから、後世の人達でもわかると思われます。

【早い者勝ち!】 あなたのお名前、残ってる?


posted by 麻呂 at 06:53| JAZZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月16日

ジャズのスタンダード、ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥは、1942年、第二次世界大戦の最中に作られた曲



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日本でもジャズシンガーと呼ばれる方で、カヴァーしてない方はいないのではないか?ってほど、とても人気の高い「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」(You'd be so nice to come home to)は、1942年にアメリカのコール・ポーターによって作られております。

1942年と言えば第二次世界大戦の真っただ中。この曲は戦場に送られた青年が、母国に残してきた愛する女性の事を思ってる歌だそうで、日本ではテレビCMで阿川泰子さんとヘレン・メリルのヴァージョンが使われた事で、このお二人のヴァージョンが有名なようですが、ジュリー・ロンドン、サラ・ヴォーン、フランク・シナトラ、中島美嘉さん等、多くのシンガーに好まれとりあげられてるスタンダードですね。







posted by 麻呂 at 19:18| JAZZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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