2015年10月04日

アメリカでは最高位35位だったけど、1960年代初頭の日本の和製ポップスブーム期に大ヒットしたポール・アンカの「電話でキッス」(Kissin' On The Phone)









アメリカでR&R(R&B)ムーブメントが終息し、まだ欧州では人気だったのでアメリカのロックンローラー達が欧州に「営業」をしにいっていた1960年前後、日本ではロカビリーブームから和製ポップス(洋楽メロディを日本語詞にのせるソレ)の大ブーム期で、そんな1961年、ポール・アンカが放ったこちら「電話でキッス」(Kissin' On The Phone)。

「電話でキッス」(Kissin' On The Phone)は、アメリカでは「シンデレラ」のB面として発売され、両面そこそこヒットしましたが、それでも全米ビルボードチャート最高位35位ですから、「ダイアナ」のポール・アンカにしたら、それほど大きなヒットとは言えないナンバーですが、日本では「電話でキッス」(Kissin' On The Phone)は大ヒットし、ダニー飯田とパラダイス・キング、飯田久彦氏等が日本語カバーし、とても好まれた曲でした。





当サイトで繰り返し解説しておりますが、ロカビリーブーム、和製ポップスブーム時代、所謂「ジャパニーズグラフィティ」の頃、必ずしもアメリカでヒットした曲が日本でもヒットしたわけではないし、アメリカでヒットしなくても日本でヒットした曲は多々あり、又、これも必ずしもアメリカ一辺倒ではなく、かなり欧州圏の曲も好まれており、この日本人の「好み」「琴線」というのは未だに当サイト運営者、摩訶不思議であり、未だにこれと言った結論はでませんが(汗)、わりと日本の近代史を誤解されてるまま年くってる方が見受けられますが、戦前の日本、明治維新からの日本は、普通にアメリカよりも西欧文明を吸収しており、又、アメリカのジャズや野球等も入っており、懐が深かったのは今とそれほど変わってないんですね。

戦後アメリカに占領統治され、それ以降アメリカ文化に一気に日本人が感化されたというのは、実はかなり間違ってるんですね。

日本人には長年の歴史のDNAで、自らが欧米のソレを「琴線」で選んでると、当サイト運営者は思ってますね。1980年前後の空前のディスコブームも、必ずしもアメリカ一辺倒ではなく、かなり欧州圏のそれの影響下にありましたし、、、。



posted by 麻呂 at 00:00| アメリカンポップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

R&R(R&B)ブームの起源と伝わる1955年。全米ビルボードチャート年間3位を記録、古の楽曲を復活させたミッチ・ミラーの「テキサスの黄色いバラ」









題名を聞いてもピンとこない方も多いと思いますが、曲を聴けばなんとなーく聴き覚えのある方多いのではないか?と思います、ミッチ・ミラーの「テキサスの黄色いバラ」(Yellow Rose Of Texas)。

なんとこの曲は、R&R(R&B)ブームがはじまった年と世界的にも位置ずけられてる、映画「暴力教室」のテーマ曲に使われた、ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が、1955年全米ビルボード年間ヒットチャートの堂々2位を記録したその年の、第3位に輝いてる大ヒットナンバー!(ちなみに1位はマンボの王様!ペレス・プラードの「チェリー・ピンク・チャチャ(セレソ・ローサ)」。

まあ、当サイト運営者もこの何とも古めかしいマーチが1955年のヒット曲だというのは驚きでしたが、当然「新しい曲」ではなく、原曲:作者不詳、19世紀アメリカの伝承曲の、それはそれは古〜い曲で、19世紀にメキシコの植民地だったテキサスの独立を成功に導いたとされる、伝説の女性エミリー・D・ウェストのニックネームが「黄色いバラ」で、テキサスを中心に歌い継がれた曲を、20世紀になってミッチ・ミラーが大ヒットさせたそうですね。



まあ、ミッチ・ミラー楽団で日本で最もお馴染みの曲は、1962年の映画「史上最大の作戦」のテーマ、マーチでしょう?↑。

で、1956年になるとR&R(R&B)ブームを決定的にした!エルヴィス・プレスリーの楽曲が、全米ビルボード年間チャートの1位2位を独占。トップ20に5曲も入る大人気ぶりを記録してますが、1955年は1位がマンボのペレス・プラードで、3位がこの古めかしい、ある種アメリカ民謡とも言える「テキサスの黄色いバラ」(Yellow Rose Of Texas)で、その間がR&R、ロカビリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」というのは、とても興味深いですね〜。

当時のアメリカ白人の大人達はこの「テキサスの黄色いバラ」(Yellow Rose Of Texas)を好み、ちょっと若い層はマンボを好み、そしてティーンエイジャー達はR&Rに熱狂したって感じでしょうかしらね?大雑把な見解で恐縮ですが、、、。





posted by 麻呂 at 00:00| アメリカンポップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月27日

飛行機事故で死亡してしまった1959年、年間全米ビルボードチャート14位。リッチー・ヴァレンスの大ヒットの「ドナ」(Dona)









1959年、年間全米ビルボードチャート14位。リッチー・ヴァレンスの大ヒットの「ドナ」(Dona)。

この曲は、シングルのB面があの有名な「ラバンバ」だったそうで、同年1月A面の「ドナ」(Dona)が同チャートトップ10入りし、「ラバンバ」もチャートインする快挙を成し遂げた矢先!、、、2月にバディ・ホリー達と共に乗った飛行機が墜落。

17才の若さでリッチー・ヴァレンスは亡くなってます。

1987年に発表された、彼の短い人生を描いた映画「ラ★バンバ」の中ヒットにより、当時のストレイ・キャッツの影響でネオロカファンになった人達、コアなオールディーズ、R&Rファンに注目されるようになったリッチー・ヴァレンスですが、案外リアルタイムの日本の和製ポップス(洋楽メロディに日本語詞をのせたソレ)ブーム、はたまた映画「アメリカン・グラフィティ」等の影響で「オールディーズ」が今のように日本でも定着した1970年代は、リッチー・ヴァレンスも彼の曲も、人気があったとは言いずらかったと、当サイト運営者は記憶しております。



映画「アメリカン・グラフィティ」では、リッチー・ヴァレンスと共に飛行機事故で亡くなったバディ・ホリーとビッグ・ボッパーの曲は使われていたので、特に!こちらも日本ではあまり知名度の高くなかったたビッグ・ボッパーは、日本でも知られるようになりましたが、残念ながらリッチー・ヴァレンスの曲は映画で使われなかったので、80年代後半になるまで、日本ではリッチー・ヴァレンスの知名度は低かったと、当サイト運営者は思っておりますが、やはり!「ドナ」(Dona)は美しいバラード、名曲ですね♪、、、

素晴らしい!!





posted by 麻呂 at 00:00| アメリカンポップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん