2015年03月23日

巨匠ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」主演グロリア・スワンソンは、ジョン・F・ケネディのパパ、ジョセフの不倫相手だった



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1950年に巨匠!ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」で、サイレント時代に活躍し忘れ去られた女優という、彼女自身を投影した役でカムバックしたグロリア・スワンソンは、ジョン・F・ケネディ大統領の父親であるジョセフ・P・ケネディと不倫の関係にあったことを、50年後に出版した自伝で初めて明かしています。

ジョセフは、今の基準で言えばインサイダー取引にあたるような「荒っぽい」やり方で、ウォール街の相場師として金融、そして映画と禁酒法時代は密造酒→解禁以降は酒販売で財を成したと伝わっておりますが、映画も「儲かる」から関わっていたわけですが、サイレント時代の大女優、こちらグロリア・スワンソンに入れこんでから(不倫関係?)、銭勘定ではない彼女主演の映画製作に乗り出し、大作映画のプロデューサーとして歴史に名前を残したがったそうですが、「金儲け」としては大失敗に終わったようで、彼女との関係も終ってから、ジョセフは映画とは縁を切ってます。







で、グロリア・スワンソンと不倫関係&映画製作仲間をやっていたジョセフと同じ頃、ドイツではヒットラーナチスの国民煽動、プロパガンダ映画を撮っていたヨーゼフ・ゲッペルスも、自ら良き家庭人を演じ、妻や子供との生活を「模範的、理想的なドイツ人家庭」という設定で演出し、そういう映像を大衆に観せ、大衆からは熱く支持されていたそうですが、やっていた事はジョセフと同じで、ドイツ映画界の女優達との不倫。

当サイト運営者は、ケネディ一家&ジョセフとゲッペルスの「やり方」は似てるなーと思ってるわけですが(多分二人は、映像を使った大衆洗脳、煽動の第一人者だと思う)、「サンセット大通り」を撮ったビリー・ワイルダーは、そんなヒットラーナチスドイツから、アメリカに亡命してきたユダヤ人(アメリカ行きの前にフランスに渡ったそう)。

ワイルダーはフィフティーズファンならお馴染み(ファッション等でも)、オードリー・ヘップバーンの「麗しのサブリナ」や、マリリン・モンローの「七年目の浮気」等をこの後撮っている、巨匠中の巨匠なわけですが、ワイルダーの母親と祖母、そして母親の再婚相手は、第二次世界大戦中にアウシュヴィッツのユダヤ人強制収容所送りとなり、そこで死亡したといわれてます(ワイルダーは母親にアメリカ行きを進言するも、母親は拒絶したそう)。

更にジョセフに話しを戻しますと、金融と映画と酒で莫大な資産を築いたジョセフは政界に進出。日本でも真珠湾攻撃時の大統領だったので、よく知られてるルーズベルト政権時代、イギリス大使をやっており(2015年現在、日本の駐米大使はジョセフの孫のキャロライン)、映画の世界で大衆がどういうイメージ操作をメディアを使ってやれば自分を支持するか?を熟知してるジョセフは、「大家族のアメリカの良き父」というイメージ戦略でイギリスで人気を得るも、ジョセフはヒットラーナチスドイツに対し宥和政策をとっていたネヴィル・チェンバレン首相以上に、ヒットラーナチスドイツに寛大。

ヒットラー擁護ともとれる発言をした結果、チェンバレンの次の首相、チャーチルにジョセフは嫌われ、諸々の結果、政治生命をこの後、断たれ、ジョセフは子供達に自分の野望、野心を託すようになるわけですね(結果的に後に倅のジョン・F・ケネディは大統領になります)。

まあ、最近は死語になりつつありますが、1970年代後半から80年代にかけ、1950年代のアメリカを「古き良きアメリカ」とマスメディアも大衆も言うのが、日本では流行っておりましたが、フィフティーズは突然!降って湧いたわけではなく、第二次世界大戦を挟んで、ずーっと!歴史は1930年代から続いており、これジャズやブルース等の音楽もしかり。

そして時代と共に、又、インターネットの時代になった昨今。アメリカのフィフティーズは、そんなに美しいものではなかったと、多くの人達は知るわけですね(そのまま年を重ね、新しい情報を仕入れていない初老中高年は、今なおそう信じて疑ってない人も多いですが)。

最後になりますが、こちら「サンセット大通り」のラスト。ネタバレになりますが、正気を失ったグロリア・スワンソン演じるノーマは、殺人事件を報道する為におしかけたカメラマンや記者達を映画撮影のソレと思い込み、新約聖書に登場する女性サロメを演じながら屋敷の大階段を颯爽と降り、カメラに向かって鬼気迫る演技をみせ、そしてTHE ・ENDなわけですが、このグロリア・スワンソンがジョン・F・ケネディの父親、ジョセフとかつて不倫関係にあった。そして監督のワイルダーは、そのジョン・F・ケネディと不倫関係にあったマリリン・モンローの映画を、アメリカでR&Rムーブメントが吹き荒れていた時代に撮っていたと思うと、更に色々調べたくなる、当サイト運営者でありました、、、。

余談ですが「刑事コロンボ」の「忘れられたスター」で、正気を失うかつてのハリウッドスターを演じたジャネット・リーは、ヒッチコックの「サイコ」で、ホラー映画ファンにはお馴染みの!有名なシャワー室で殺害される役の方で、この作品の脚本を手がけたウィリアム・ドリスキルは、やっぱりビルダーの「サンセット大通り」をヒントにしたのかな〜?なんて、思ったりいたします。

posted by 麻呂 at 00:00| ケネディ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

ケネディ家とシナトラ一家 その2 ジョンとロバートの義理の弟、ピーター・ローフォード。そしてマリリン・モンロー









昨日の続き

ジョン・F・ケネディの妹パトリシアの夫で、シナトラ一家の俳優ピーター・ローフォードの協力を受け、ハリウッド俳優や歌手などの芸能人による選挙協力を受けたのも、当時、ケネディが大衆に人気があった一つの要因になったのは間違いないでしょう。

又、TVが今より!大衆に威力があった時代、↑有名なニクソンとの公開討論。

この時点ではニクソンが優勢だったそうですが、この公開討論でケネディはピーター・ローフォードのアドバイスを受け、綿密にTV用のメーキャップをし、又、持病の治療のために服用した薬の副作用で肌の色が浅黒くなったために「日焼けしたスポーツマン」に見え、ニクソンは政策の内容が重要と、病後で顔色が悪かったのにメーキャップを拒否。

父親のジョセフも、大衆がマスメディアに極めて弱い事をよく知っていた男でしたが、ニクソンはケネディ家と違いマスメディアの力を甘くみていたので、結局このTVの公開討論のマスメディア戦で、負けるわけです。こうしてR&Rムーブメントも終焉の兆しをみせていた1961年1月20日、第35代アメリカ合衆国大統領にジョン・F・ケネディは就任。

が、この大統領選の勝利で、シナトラ一家と彼等と繋がりのあるマフィア、そしてパパのジョセフとも繋がりのあったマフィアの親分等に、大きな「借り」がケネディ家はできてしまうわけです。

更に!ジョン・F・ケネディとロバートと関係があったと言われるマリリン・モンローやハリウッド女優を、ホワイトハウスに送り込んだ「ポン引き」は、フランク・シナトラともピーター・ローフォードとも言われますが、この醜聞をFBIに盗聴され、FBI長官のジョン・エドガー・フーヴァーにケネディ兄弟は「警告」をウケ、マスメディアはフランク・シナトラとマフィアの関係を遂に!暴きだすのがこの時期。

勿論!大衆はシナトラとマフィアとケネディ家の関係など、知るよしもなく(特に日本など全くなかった)、まだケネディ大統領はクリーンな若き英雄イメージが強かったので、ケネディ兄弟、特に弟のロバートは、ここでマフィア一掃を考えだし、そして実行。

シナトラやマフィアからみたら、これは完全なケネディ家の裏切りなのは、誰でもわかりますわな、、、。



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更に若きケネディ大統領は、キューバ問題でも自らが介入したアメリカのベトナム派兵でも失策が目立ち、東西冷戦、米ソ冷戦下、老獪なソ連のフルシチョフにも完全になめられており、一瞬即発の米ソ全面核戦争の危機も迎えたのも、有名な「ベルリンの壁」をソ連が作ったのもこのケネディ大統領時代で、CIAにも軍需産業にも共和党政治家達にも、同じ民主党政治家からも、ジョン・F・ケネディは信頼を失っていたのは、否めななかった。

ジョン・F・ケネディを支えていたのは、大衆の熱い支持だけだったと言えます。

そんな大統領就任の翌年、1962年8月、ジョン・F・ケネディとロバート・ケネディと関係があったと言われるマリリンモンローが36才の若さで謎の死。

5月には、ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたジョン・F・ケネディの45歳の誕生日パーティ(司会はローフォード)で、体の線が露わになったドレス姿で赴き、ハッピーバースデー・ミスタープレジデントを歌って↓、僅かに2ヶ月弱の「謎の死」だった(ケネディの妻のジャクリーンは、モンローがくるので欠席したとか)。







余談ですが、映画「アメリカン・グラフィティ」の1962年の夏の1日という設定は、このマリリン・モンローが死んだ年であります。

そして翌1963年11月、ジョン・F・ケネディもテキサス州ダラスで暗殺。

ケネディ家とシナトラ一家のパイプ役だった、ケネディ兄弟の義理の弟で俳優のピーター・ローフォードは、ケネディ家のシナトラ一家&マフィア排除を止められなかったとしてシナトラに激怒され、既にシナトラ一家から追放され、ケネディの妹のパトリシアともケネディ暗殺の頃は別居状態で、その後離婚。

シナトラにもケネディ家にも見捨てられたピーター・ローフォードは、この後、全く!ぱっとせず、人々の記憶から消え去っており、よっぽどの!シナトラ一家ファンでもない限り、彼の名前を知る映画ファンは、日本にはいないと言えるでしょう。

そしてジョン・F・ケネディ暗殺から3年弱の1966年6月、弟のロバート・ケネディも暗殺。

更に!脳梗塞を煩い失語症および右半身不随になっていたケネディ兄弟のパパ、ジョセフはジョン、ロバート暗殺後の1969年に息をひきとっており、自分の夢を託した息子二人が相次いで暗殺された時、ジョセフは何を思ったでしょうね?(長男も第二次世界大戦で亡くしてます)。

ジョン・F・ケネディ暗殺の翌1964年、彼の公約の1つだった「黒人公民権」はジョンソン大統領によって施行されます。

posted by 麻呂 at 00:00| ケネディ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月03日

ケネディ家とシナトラ一家 その1 1960年の映画「オーシャンと十一人の仲間」「Ocean's Eleven」



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2001年に「オーシャンズ11」としてリメイクされた、1960年末日本で「オーシャンと十一人の仲間」というタイトルで上映された、元々タイトルは「Ocean's Eleven」。

まあ、フランク・シナトラというと、フィフティーズ、オールディーズ以前の、もっともっと!相当!昔の人のイメージが、当サイト運営者にもありますが、R&Rムーブメントが吹き荒れた1950年代半ばから後半になっても、シナトラはジャジーな自分のスタイルは崩さず、大人のファン達に支持されていたわけで、この映画はそんなR&Rムーブメントが一段落した1960年に作られています。

フランク・シナトラと言えば、映画「ゴッドファーザー」で、ドン・コルレオーネに可愛がられる歌手&俳優、ジョニー・フォンテーンのモデルとされているのは有名な話しで、イタリア系アメリカ人のシナトラとマフィアの関係も知る人ぞ知る有名なお話し。

同じくこの映画にも出てる、シナトラ一家で日本でも有名なディーン・マーティンは、シナトラと同じイタリア系アメリカ人で、子供の頃は英語ができなかったとか。で、学校を中退後、禁酒法時代(1920~33年)は密造酒の運び屋を手始めに、バーの用心棒や違法ルーレットカジノのディーラーや元締めなどの経歴のある「筋金入り」。

そしてもう一人!この映画にも出てる、シナトラ一家のピーター・ローフォードは、この後アメリカ大統領になるジョン・F・ケネディの妹パトリシアとこの頃結婚しており、ローフォードによってケネディ家とシナトラ一家はパイプができるわけですね〜。







まあ、ケネディ家のパパ、ジョセフ・ケネディも、相場師として悪名高かったそうですが、金融業と映画産業、そして禁酒法時代はマフィアと組んで密造酒の売買もやっていたという噂も強くある、禁酒法廃止後はジンとスコッチの輸入で大儲けした、この人もまた「一筋縄ではいかないタイプ」。

ウォール街(金融)と映画と酒で大儲けしたジョセフは、1932年の大統領選挙に打って出るルーズベルトの資金援助を申し出ている。ジョセフの次なる野心は「政治」。

資金援助だけではなく、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをルーズベルト支持に引き込み、今も昔も大衆洗脳の担い手マスメディアをルーズベルトの味方につけたのもジョセフだったが、ルーズベルトはジョセフを「胡散臭い奴」と毛嫌いしてたようで、利用はしても信用はしておらず、あまり仲はうまくいってなかったという説が有力で、結局、ジョセフの「政治」の野心は、子供達に委ねられるようになる動機は、このへんからきてるようですね。

そして、日本では「オーシャンと十一人の仲間」のいうタイトルでこの映画が公開された1960年は、アイゼンハワー大統領の2期目の任期が終った年で、日本でこの映画が公開される12月末(クリスマス時期だから1961年の正月映画だったと思われます)の1ヶ月前、民主党のジョン・F・ケネディは、共和党のリチャード・ニクソンを僅差で破り、アメリカ大統領に就任。

大統領選のケネディの資金調達パーティには、既にケネディ家とパイプを築いていた、マフィアと強い絆のあるシナトラ一家の親分、フランク・シナトラ、そしてエレノア・ルーズベルト元大統領夫人も顔をだしています。

続く

posted by 麻呂 at 07:30| ケネディ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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