2015年03月22日

ザ・ビートルズカヴァーでも人気曲とは言いずらい、カール・パーキンスの「みんないい娘」 (Everybody's Trying to Be My Baby)









「みんないい娘」 (Everybody's Trying to Be My Baby)は、R&Rムーブメントの真っただ中の1958年にリリースされたカール・パーキンスの楽曲ですが、特に日本ではザ・ビートルズのアルバム「ビートルズ・フォー・セール(ビートルズ '65)」で、ジョージ・ハリスンがリードボーカルをとったカヴァー曲の方で有名な曲。

ザ・ビートルズのカヴァーヴァージョンで有名と書いておいて何ですが、日本のザ・ビートルズファンには、ザ・ビートルズのカール・パーキンスのカヴァーヴァージョンというのは、あまり人気がなく(汗)、ザ・ビートルズナンバー、或いはザ・ビートルズカヴァーで好きな曲で、カール・パーキンスの、こちら「みんないい娘」 (Everybody's Trying to Be My Baby)や「ハニー・ドント」「マッチ・ボックス」の曲名をあげる方は、まーず!会う事はないですね〜(汗)。

されど当のザ・ビートルズのメンバーは、カール・パーキンスが大好き!。

1985年にカール・パーキンス音楽生活30周年記念として放送された「Carl Perkins and Friends」では、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、そしてエリック・クラプトン、デイブ・エドモンズらとともに行われた映像↓。ジョージやリンゴの嬉しそうな顔ったらないですわな。



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まあ、アメリカのミュージッシャンの幼少、子供時代の「貧困」というと、イコールでアフリカンアメリカンのブルースマンのイメージが強いですが、白人なれどカール・パーキンスは貧しい小作農家の出身で、6歳の頃から働いていた綿花農園で、アフリカンアメリカン労働者が歌うゴスペルを聴いて育ってるのを、忘れてはいけないですね。

カール・パーキンスは、アフリカンアメリカンのブルースマン達と同じ、アメリカンドリームの一人なんです。

そんな、日本ではイマイチ!人気のないカール・パーキンスですが、1996年にリリースされた音楽生活40周年記念企画アルバム「Go Cat Go!」では、カール・パーキンスを愛してやまない様々なアーティスト達との共演やカヴァー作品が収録されたアルバムとなっていますが、このアルバムには、ビートルズの4人の名前がクレジットされた大変珍しいアルバムとなっています。

posted by 麻呂 at 00:00| カールパーキンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月01日

エルヴィス・プレスリーと並んで、1956年のR&Rムーブメントの、白人重要人物のカール・パーキンス マッチ・ボックス(Matchbox)



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ザ・ビートルズファンにはリンゴ・スターの持ち歌で有名な、カール・パーキンスの「マッチ・ボックス」(Matchbox)。

カール・パーキンスは、1955~56年にR&Rムーブメントがアメリカで起きる以前から、ブルース、R&R、ロカビリーの録音を行っていた事と、若きエルヴィス・プレスリーもレコーディングしていた事で、コアなロック、R&R、R&B、ブルースファンにはお馴染み!サム・フィリップスが立ち上げたサン・レコードに所属していた方で、エルヴィス・プレスリーで有名な「ブルー・スエード・シューズ」の作者でも有名。

まあ、カール・パーキンスかエルヴィス・プレスリーか、、、。

白人が自分達のC&Wと、黒人のR&B、ブルースをフュージョン(融合)させ、後にR&R、ロカビリーと括られるサウンドを確立したのは、どちらだったか?は、双方のファンによって言い分も違うでしょう。でも、このお二人がサン・レコードでやっていた事こそ!後のロックシーンに多大な影響を与えたのは紛れもない事実、歴史であり、1955年、アメリカでは映画「暴力教室」で使用された、ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ブレイク。既にメンフィスではローカルスターだった若きエルヴィス・プレスリーが、サン・レコードを離れRCAレコードに移籍するのが同年11月。

プレスリーなき後、サン・レコードはカール・パーキンスを強烈にプッシュ。

明けて1956年1月、サン・レコードからカール・パーキンスの「ブルー・スエード・シューズ」発売。全米ビルボードチャート最高位4位を記録。この曲はサン・レコード初の100万枚突破する大ヒットになり、又、わりと白人寄りのカントリーチャート、黒人寄りのR&Bチャートの両方にチャートインする、当時としては珍しい快挙を「ブルー・スエード・シューズ」とカール・パーキンスは成し遂げ、「ブルー・スエード・シューズ」発売から少し遅れ、エルヴィス・プレスリーはTV「ザ・ドーシー・ショー」初出演。黒人のR&Bを歌い踊り、白人の当時の「良識派」と本人達は思ってた大人達から、その「白人らしからぬ」プレスリーの歌唱と踊り(ファッションも)は顰蹙をかうも、若者達には支持され、同番組に3月迄に計6回出演。

されどRCAレコードから発売された「ハート・ブレイク・ホテル」は、いきなりチャートで大爆発したわけではないので、アルバムヒットの保証もなかった為、プレスリーのファーストアルバム「エルヴィス・プレスリー登場!」は、レコーディングの経費削減でしょう(汗)、サン・レコード時代に既に録音されていた曲5曲に、カール・パーキンスの「ブルー・スエード・シューズ」やリトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティ」、レイ・チャールズの「アイ・ガット・ア・ウーマン」等が新たにレコーディングされ発売。

結果的にこのプレスリーのデビューアルバムも、シングル「ハート・ブレイク・ホテル」ともども爆発的、記録的な大ヒットになったので(1956年のRCAレコードの売れたレコードの半分は、プレスリーのレコードだったとか)、アルバムの顔ともいえるA面の1曲目の「ブルー・スエード・シューズ」は、カール・パーキンスだけではなく、エルヴィス・プレスリーヴァージョンでも大人気になるわけですね。





で、こちら「マッチ・ボックス」(Matchbox)は、そんなR&Rムーブメント、エルヴィス・プレスリーに沸き上がった1956年の翌年に発表され、シングル「ブルー・スエード・シューズ」のB面だった「ハニー・ドント」と共に、後にザ・ビートルズがカヴァーした事で、更に!有名になった曲ですね。

まあ、カール・パーキンスとエルヴィス・プレスリーは共に白人で年は3才違い(パーキンスの方が年上)。その音楽のルーツ、経緯がとても似てるのは注目したい所です。

テネシー州ティプトンヴィル近郊の貧しい小作農家生まれのパーキンスは、幼少の頃から学校から帰宅後は、綿花農園で家計を助ける為に働いていたそうで、ここで同じく貧しかったアフリカンアメリカンの農民達が歌うゴスペルを経験するんですね。

貧困の為、本物のギターが買えなかったので、煙草の箱と箒の柄で父親が手作りしたギター、又、近所の同じく貧困の住人が売りにだしたボロボロのギターを父親が買ってくれたパーキンスは、農園で働く黒人労働者からブルースギター、ゴスペルを習うようになり、独学でブルースマンのジョン・リー・フッカーも弾けるようになったとか。

ミシシッピ州の貧しい家庭に生まれたエルヴィス・プレスリーも又、13才の時にテネシー州メンフィスに一家で引っ越し、アフリカンアメリカンの貧しい労働者の多かったこの街で、ゴスペルやブルース等を生活の中で覚えるわけで、白人のカール・パーキンス、エルヴィス・プレスリーがもし、もっと中産階級の白人層で、あまり黒人労働者が近所にいないような街で生まれ育っていたら、R&R、ロックの歴史はかわってたかも知れないですね。

posted by 麻呂 at 00:00| カールパーキンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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