2015年04月15日

2015年現在、ザ・ビーチボーイズやドゥ・ワップの親爺ファン達のルーツは、だいたい大滝詠一氏、山下達郎氏、シュガーベイブの影響



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当サイトでも再三再四触れておりますが、日本でドゥ・ワップ、アカペラという音楽、ジャンルが今のように普通に当たり前に誰もが口にするようになるきっかけは、1980年の「ランナウェイ」で「お茶の間」人気になったシャネルズのリーダー、鈴木雅之氏や田代まさし氏が、自分達の音楽スタイルはドゥ・ワップと発言してからなわけですが、これも再三再四触れておりますが、それ以前から大滝詠一氏、山下達郎氏は実践していたわけです。

まあ、このへんはコアな古の和製ロック、古の和製ポップスファンには「釈迦に説法」で、大滝詠一氏が在籍していた「はっぴいえんど」、山下達郎氏在籍の「シュガーベイブ」の逸話にたどり着くわけですが、当時は「はっぴいえんど」も「シュガーベイブ」も、殆どの若者達に知られておらず、「はっぴいえんど」が一般的に知れ渡るのは、メンバーの細野晴臣氏がイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)で1970年代末期から80年代初頭に一世を風靡してからで、「シュガーベイブ」が知られるようになるのも、1980年に山下達郎氏が「ライド・オン・タイム」の大ヒットを放って、80年代初頭に「シュガーベイブ」の「ダウンタウン」が、フジテレビの「オレたちひょうきん族」でEPOさんがカヴァーしたそれが使われてからの事。





このへんはイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のドラマー、高橋幸宏氏がそれ以前、サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスに在籍していた。そのバンドのギタリストが1980年代初頭、こちらも大人気だった高中正義氏だったという逸話と似ており、実際には後世の方々、今の若い方々が思うほど、1970年代に「はっぴいえんど」も「シュガーベイブ」もサディスティック・ミカ・バンドも売れておりませんし、知名度も低かったです。

例えば2015年現在、還暦から50代初頭ぐらいまでの知り合いがいる若い方おりましたら(両親親族含め)、是非!音楽の話しをしてみてください。そこで「はっぴいえんど」「シュガーベイブ」、そしてサディスティック・ミカ・バンドが出てくる事は、まーず!ないと思いますので。普通に吉田拓郎氏、井上陽水氏、かぐや姫。ユーミン、矢沢永吉氏。あとは歌謡芸能の世界の話しぐらいしか、懐かし話しで出てこないですから。

勿論、それはこれら中高年が無知なわけでも、その想い出が駄目だったというわけではなく、それがごく普通だったという意味で、この層の方々を揶揄中傷するものではないので、誤解のないように。

それほど!後世で思われてるほど、70年代の古の!伝説の!日本のロックバンド、ポップスグループって、一般的には知られていなかったし、売れていなかった。とても皆さん、苦労していたという能書きであります。


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2015年03月25日

元キャロルの内海利勝氏と元ダウンタウン・ブギウギ・バンドの新井武氏のインタビューが、とても!面白い!!









1970年代、日本のR&Rリバイバル、オールディーズブームの先駆者、立役者だったと、当サイト運営者、断言しております。キャロルとダウンタウン・ブギウギ・バンド。

「MUSIC LEGEND」という番組に、その元キャロルの内海利勝氏と元ダウンタウン・ブギウギ・バンドの新井武氏が出演していて、このお話しが!とても!面白い!!。

公式デビュー前のキャロルが、TV「リブヤング」に出演して、その場で内田裕也氏、電話でミッキー・カーチス氏からレコードデビューの話しをもちかけられたのは、ファンの方には有名な話しですし、ボクもこの時、TVで観ていた筈なんですが、井上尭之氏や若き日の竹田和夫氏が居たのは、全く記憶がないですね。

子供の記憶なんて、如何に曖昧なものか。痛感いたします(汗)、、、そうだったのかー。いい年して初めて知った。

矢沢永吉氏の著書「成り上がり」では、契約の問題でぼろかすにこき下ろされてた、キャロルのプロデュースをしていたミッキー・カーチス氏の、キャロルのレコーディングでの功績を内海利勝氏は「音楽家」らしく述べておりますが、これは以前「ギターマガジン」という音楽雑誌で、内海利勝氏とジョニー大倉氏のインタビューでもお二人が述べていたので、内海氏はかなり強い印象が残ってるみたいですね。

当サイト運営者も「キャロルのレコードは、他に比べ音が良い」と、録音技術も何も全くわらかなかったリアルタイム当時、聴いた感覚だけで言っていたのも、あながち間違いではなかったと、ちょっと嬉しくなる内海利勝氏の証言であります。


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キャロルもダウンタウン・ブギウギバンドも出演してた1974年夏の「ワンステップフェスティバル」の時は、キャロルが「ファンキー・モンキー・ベイビー」を中ヒットさせた後だったから、未だヒット曲のなかったダウンタウン・ブギウギ・バンドは勿論、ジュリー=沢田研二氏は別格にして、元スパイダースのかまやつひろし氏、元ゴールデンカップスのミッキー吉野氏、そしてキャロル以外、他のバンドは殆ど無名、コアなニューロックフリークにしか知られていなかったバンドばかりでしたが(山下達郎氏のシュガーベイヴ等、後から有名になった人達、グループは多々あり)、1974年末に発売された「スモーキン・ヴギ」をダウンタウン・ブギウギバンドさせ、続く「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」も更なる大ヒットになり、ダウンタウン・ブギウギバンドと宇崎竜童氏が時代の寵児になった頃、キャロルは解散を決めていたんですね〜。

ジョニー大倉氏の著書にあるように、キャロルというバンド名も革ジャン&リーゼントの、あの!スタイルも考案したのはジョニー大倉氏で、矢沢永吉氏は最後までリーゼントは反対していたのと同じようで、ダウンタウン・ヴギウギ・バンドの有名な!「白のツナギ」ルックは、ドラマーだった相原誠氏の発案だったというも、面白いですね。

キャロルのベーシストだった矢沢永吉氏が元々ギタリストだったように、ダウンタウン・ヴギウギ・バンドのベーシストの新井武士氏も、元々はギタリストだったというのも、時代ですよね。ザ・ビートルズのポール・マッカートニーもこのパターンだったし。

ダウンタウン・ブギウギ・バンドのリードギタリストの和田静男氏が、新井武士氏にデビュー当時はギターを習っていたというのも、驚きましたね。↓ 和田静男氏は当時の音楽雑誌「ミュージックライフ」の国内ギタリスト人気投票部門で、トップ10に入ってた人気ギタリストでしたからね〜。



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2015年03月21日

キャロル解散とクールスレコードデビューの1975年は、ある面「時代の分岐点」だった その2



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昨日の続き

繰り返しますがキャロルが売れだしたのは、ジョニー大倉氏の著書にもあるように解散してから。

あの!日比谷野音の解散ライブの映像をTVで観た、それまでキャロルは「リブヤング」と「ギンザNOW」でしか観た事がなかった、さしてファンでもなかったのでレコードも買わなかった不良達や暴走族、或いはその「予備軍」の中学生、小学年高学年が、解散頃に出されたベストアルバム「キャロル・ゴールデンヒッツ」や「グッドバイ・キャロル」、そして解散ライブの実況録音盤を買い出したからなんですね。

だから、この頃、TVの影響でキャロルファンになった人とそれ以前からのファンだった人は、レコード棚をみるとすぐわかりました。アルバム「ルイジアンナ」や「ファンキー・モンキー・ベイビー」「ライブ・イン・リブヤング」がある人は、キャロル現役時代からのファン。「キャロル・ゴールデンヒッツ」や「グッドバイ・キャロル」、解散ライブのLPしかない人は、解散ライブのTV放映以降のファンてね(笑)。

というわけで、当時のロックバンドの中ではダウンタウン・ブギウギ・バンドに次ぐセールスを誇るようになったキャロルでしたが、そのキャロルは解散してしまい、もう新譜がでる事はない。

レコード会社としては商売になるこの「キャロル、マーケット」を放っておけないのは当然と言えば当然。

そこでクールスに白羽の矢がたったとしても、何らおかしい話しではないですね。クールスもキャロル同様、いや、ある面キャロル以上に!あのキャロル解散ライブのクールスのTV映像は、センセーショナルなものでしたから、話題性も抜群。

まあ、それにしても佐藤秀光氏の証言通りとしても、キャロル解散ライブの打ち上げが4月で、バンド「クールス」のレコードデビューは9月と、時間はたったの5ヶ月しかなかったのですから、さぞや!バンドリハーサルやレコーディングは、慌ただしかった事でしょう。

例えばアイドル歌手ならレコーディングのバック演奏はスタジオミュージッシャンですし、TVの歌番組は当時はジャズのビッグバンドの独壇場。皆、腕利きの凄腕ミュージッシャン達。そして公演もそういう系列のミュージッシャンを揃えられますから、スカウトから数ヶ月でレコードデビューは問題なかったでしょうが、クールスはバンドですからね〜。

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当時クールスは、ギターのジェームス藤木氏と、バンド「クールス」になってからクールスに加入したベースの大久保喜市氏以外、全員音楽は素人と言われていましたが、近年の佐藤秀光氏のインタビューではバンド「クールス」結成前から、佐藤氏はドラムをかじっていたそうで、ミュージッシャンに実はなりたかったと述べておりますから、ドラム、ベース、ギターの3リズムは、最初から音楽経験者だったって事なので、長年の謎が、当サイト運営者も解けました(笑)。

まあ、キャロルやダウンタウン・ブギウギ・バンドが、メンバー全員楽器を奏で歌うスタイルでしたから、フロントに楽器を持たない3人の「歌って踊る」舘ひろし氏に村山一海氏に水口晴幸氏に、バックの演奏陣の「シャナナ」スタイルをとったクールスのスタイルは、今にして思えば斬新。

このスタイルは後にシャネルズやチェッカーズでお茶の間でも浸透しましたが、当時はかなり珍しいスタイルでした。

そして今のように「デジタル」の文明の力で、音程のピッチがずれていても、後から修正できるレコーディング技術は、当時は「アナログ」テープ録音の時代ですからない事を思うと、舘ひろし氏も村山一海氏に水口晴幸氏も、それまでバイカーの音楽は「素人」だった事を思うと、コーラス、ハーモニー含め、誠によくやってる歌声だと思いますよね。レコーディングは大変だったでしょうけど、、、。





クールスのシングル「紫のハイウエー」やアルバムが発売された1975年9月、バンド「クールス」に参加しなかったバイクグループ「クールス」のメンバーだった岩城滉一氏の初主演映画、映画「爆発!暴走族」が上映されてます。

併映は上映館によって違うようですが、新宿東映では、その前に上映「思わぬ大ヒット」になった菅原文太氏の「トラック野郎」の一作目をそのまま残し、「爆発!暴走族」と2本だてで上映。

まあ、映画のストーリーは当時の「東映」ですから(笑)、絶賛できるような代物ではありませんが、岩城滉一氏他のバイクシーンは、今観てもなかなかカッコいいそれだと思いますし、当時から賛否両論ありましたが、主に都内の実際の有名暴走族を「走らせてる」シーンもあるので、当時の時代背景は「こんなだったのか」と知りたい方には、ドキュメンタリー的に面白い映画かも知れないです。

又、「トラック野郎」の一作目には、当時最も商業的に成功し、暴走族にも人気だったダウンタウン・ブギウギ・バンドがガソリンスタンドの店員役で出演しており、「トラック・ドライヴィング・ブギ」という日本語R&Rの名作が、この映画で使われております。

更に、1975年9月は、矢沢永吉氏のソロシングル第一弾「アイ・ラヴ・ユー、OK」と、同名アルバムが発表されており、これを偶然の一致と思えるほど、当サイト運営者は純朴な人間ではないので(笑)、かなり準備万端で「狙っていた」と思いますよね。

又、1975年は、前年12月から日本では上映された、当時無名の!ジョージ・ルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」が、じわじわ人気になった年で、1980年前後に原宿は代々木公園でラジカセ鳴らしツイストを踊る、所謂「ローラー」達が竹の子族と共に大ブレイクする前兆、起源は、この1975年にあったと、当サイト運営者は断定いたします。

ちなみに有名なケントスチェーン、第一号店の「六本木ケントス」がオープンしたのは、1976年。この翌年でございます。



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