2015年09月30日

シャネルズは当時、東京や京浜地帯に沢山いた「音楽的な非行少年達」の中の、稀に見る大成功例だった!









アメリカのオールディーズバンド「シャ・ナ・ナ」とドゥ・ワップグループ「ザ・チャンネルズ」からとって名付けられたバンド名だそうな「シャネルズ」は、1975年に結成されたそうですが、まあ、この年、、、。

映画「アメリカン・グラフィティ」が1974年末から日本で上映され、75年の4月にはキャロルの有名な火事になった日比谷野音での解散ライブがあって、それが夏になってTV放映された事で、キャロルは元より、警護役だったバイクチーム、クールスが注目され、そしてクールスの岩城滉一氏が映画デビュー、クールスもレコードデビュー、そしてキャロルを解散した矢沢永吉氏のソロアルバムが出たのが、シャネルズがバンド結成した1975年。

まあ、鈴木雅之氏はじめ当時ティーンエイジャーだったシャネルズのメンバーが「アメリカン・グラフィティ」、キャロル、クールスを無視してたわけがありませんし(笑)、当時は空前のディスコブームが吹き荒れる前夜でしたから、当時の東京の非行少年達だったシャネルズのメンバーが、踊りにいってないわけがなく、また当時、新宿から原宿に進出し「キングコング」「シンガポールナイト」「クリームソーダ」等の50's、R&Rショップ、バーを運営しだしたその山崎眞行氏の経営するお店に、シャネルズのメンバーが遊びにいってなかったわけもないので、彼等のルーツはこのへんのR&R、オールディーズ、そしてR&B、ソウル、ファンク、ディスコのフュージョン(融合)にあったのは、まず間違いないでしょう。





シャネルズは公式デビュー前に、既にコンテストで優秀な成績を収めていたので「その筋」では知られた存在だったようで、かの大瀧詠一氏のアルバムにゲスト参加しており、特に鈴木雅之氏は「禁煙音頭」ではリードボーカルを担当しており、実質、彼のこれがデビューレコーディングだったと言えるでしょう。

さりとて公式デビュー迄は未だ時間はかかり、新宿の「ルイード」でライブ活動を地味に続けていたシャネルズは、一般的には知られていなくても、山下達郎氏はじめ「その筋」の人達には既に有名な存在になっており、山下達郎氏や大瀧詠一氏がそうであったように、シャネルズも「ランナウェイ」は元々はステレオラジカセ(当時はステレオのラジカセは新しかった!)のCMの仕事で、1コーラスだけレコーディングされたナンバーだったそうですが、当サイト運営者もこのCMを観て、初めて聴いた鈴木雅之氏の「声」は、かなり衝撃で印象深いそれだったように、あっ!という間に話題になり、結局、彼等のデビュー曲としてシングルレコード発売され、これにて彼等の人生は大きく変わるわけであります。



顔を黒く塗り歌い踊り演奏するシャネルズは、「ランナウェイ」の曲の良さもありますが、すぐに!お茶の間の人気者になり、子供からお年寄りまでに知られるようになった事で、彼等の影響で!日本では「ドゥ・ワップ」という言葉が、今のように一般的になったと、当サイト運営者は断定しております。

勿論、大瀧詠一氏、山下達郎氏はシャネルズ以前からそれをやっておりましたし、キングトーンズと言った老舗はもっと前からやっておりましたが、山下達郎氏も大瀧詠一氏も80年代になって商業的に成功した方ですので、コアでマニアックなそれ以前からのファンや音楽業界の方々は別にして、一般的にはシャネルズより後に知られるようになったので、やはりシャネルズの功績を抜きにして、日本で「ドゥ・ワップ」を語るのは、間違ってると当サイト運営者は思っております。







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2015年07月07日

1973年、キャロルのファーストアルバム&ライブで、日本でもお馴染みになった「グッドオールドR&R」(Good old R&R)は、キャロルは誰のヴァージョンをカヴァーしたのだろう?









日本のキャロルファンには、キャロルのカヴァーナンバーでお馴染み!「グッドオールドR&R」(Good old R&R)は、おそらく多分、キャロルは1960年代に本国イギリス、そしてアメリカで大人気だったデイヴ・クラーク・ファイヴのヴァージョンをカヴァーしたと思われます↑。

時期的に同じ頃と思われますが、Cat Mother というグループがデイヴ・クラーク・ファイヴと同じような感じでやっておりますが↓当時の日本で(今も) Cat Mother というグループの認知度が果たしてどれほどだったのか?、、、当サイト運営者は疑問なので、おそらく多分、日本でも有名だった!デイヴ・クラーク・ファイヴの方を参考にしたのではないかと、思っております(キャロルメンバーの証言等、ありませんが)



で、当サイトで繰り返し説明しておりますが、日本で今のようにチャック・ベリーやバディ・ホリーが1950年代後半のアメリカのR&R(R&B)ブームの中心人物だと知られるようになるのは、1964年にザ・ビートルズのレコードが日本でも発売されるようになり、ザ・ビートルズがカヴァーしたヴァージョン、そしてザ・ビートルズのメンバーが彼等から受けた影響をマスメディアで口にするようになってからで、リアルタイム日本のロカビリーブームの1950年代後半、必ずしも日本ではチャック・ベリーやバディ・ホリーは有名ではなく、日本のロカビリーブームはエルヴィス・プレスリーは勿論なれど、あとはポップス系のポール・アンカ、ニール・セダカの方が、チャック・ベリーやバディ・ホリー他R&Rスター達より人気が高かった、知名度は高かったと言えます。

又、ザ・ビートルズ日本レコードデビュー後、日本にも多くのイギリスのバンドが紹介されるわけですが、日本人にとってデイヴ・クラーク・ファイヴと言えば、なんと言っても「ビコーズ」(Because)↓。



このメロディアスでソフトな曲のデイヴ・クラーク・ファイヴが、強烈なR&Rメドレーをやっていたと知ってる人は、当時、かなり少なかったと思われますので、キャロルの矢沢永吉氏か?ジョニー大倉氏か?はたまた内海利勝氏か?誰の「おススメ」でこの曲をキャロルがやりだしたのか?メンバーの証言がないので、当サイト運営者はわかりませんが、時代を考えるとかなり!マニアックな選曲だったと思われますし、当サイト運営者も、ご多分にもれず!リアルタイム1973年、キャロルのファーストアルバムで、こちら「グッドオールドR&R」(Good old R&R)は、初めて知りました。

デイヴ・クラーク・ファイヴは1970年に解散。強烈なファンの方はともかく、その後メンバーの活動は、殆どの人は知る事もなく、又、グループそのものも70年代、80年代になると忘れ去れて行ったのは、否めませんでしたね。





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2015年04月30日

日本で今のように DJ ドゥ・ワップ アカペラ という「言葉」が当たり前になったのは、小林克也氏と山下達郎氏の大功績 









1980年代初頭のNHK-FMでの音源らしいですが、この当時、漫才ブームを起こしたことで知られるフジテレビの「THE MANZAI」のナレーション、また、当時、人気絶頂だったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のアルバム「増殖」での「スネークマン・ショー」、そして有名な!TV朝日放映の「ベストヒットUSA」によってその声も顔も有名になる小林克也氏と、時期的には一般的に大衆に名を知られるようになった「ライド・オン・タイム」の大ヒット前後なのでしょうか?山下達郎氏の対談。

当サイト運営者、個人的に小林克也氏の声に衝撃を受けたのは、山下達郎氏の当時はカセットテープのみの発売だった1980年発売の、山下達郎氏のそれまでのアルバムから選曲されたベスト盤「COME ALONG」でのDJ。

当サイトでも再三触れておりますが、日本公開は1974年末からの映画&サントラ盤「アメリカン・グラフィティ」でのDJ、ウルマン・ジャックの楽曲に重なる声の影響力というのは当時、絶大なものがあり、後のサザン・オールスターズの桑田氏しかり、随分、多くの方がウルフマン・ジャックの物まねをされておりましたが、「COME ALONG」のカセットA面は正に!そんな感じで小林克也氏のDJにのって山下達郎氏の楽曲が紹介され、カセットB面ではハワイのKIKIラジオ・ステーションの再現を、未だ山下氏と結婚前だった竹内まりさんがゲスト参加で小林氏と共に行われた、当時としては画期的で!又、小林克也氏の声と英語力に、多くの人がそうだったと思われますが、度肝を抜かされたものでした。

まあ、山下達郎氏と言えば一般的には「クリスマス・イブ」は誰もが知ってるナンバーで、達郎氏の話しをしようとすると、だいたい「クリスマス・イブ」の達郎氏しか知らない方が、老若男女問わず約8割(汗)、、、。

残りの2割の方でも、こちら「ライドオンタイム」の大ヒット以前の、当時はカセットテープのみの発売だった「COME ALONG」をリアルタイムで知ってる方は稀(何故か?リアルタイムを知らない若い層の方が、何事にも言えますがマニア、コアなファンは多い)。





そして小林克也氏も2015年現在、50代から40代後半の方でも、だいたい「ベストヒットUSA」でその存在を知る方が殆どで、それ以前の小林氏の仕事というのは、あまり知られておらず、当サイトでもこれも再三再四繰り返し紹介しておりますが、日本で今のようにドゥ・ワップという言葉が一般的に広く大衆に浸透するのは、1980年の「ランナウェイ」の大ヒットで「お茶の間」に登場したシャネルズの鈴木雅之氏と田代まさし氏が、自分達の音楽はドゥ・ワップの影響とTVで口にしてからで、更にそのドゥ・ワップ、そしてアカペラという言葉が確実に!定着したのは、同1980年、山下達郎氏による衝撃の!一人多重録音「ON THE STREET CORNER」(当時は10万枚限定発売だった)で、ドゥ・ワップナンバーをカヴァーしてから。

勿論、これも当サイトで繰り返し紹介しておりますが、シャネルズの「お茶の間」での功績は絶大でしたが、シャネルズ登場以前の70年代から山下達郎氏も大滝詠一氏も、CMソングでドウ・ワップの実践はやっており、又、大滝詠一氏のアルバムでは公式デビュー前のシャネルズの鈴木雅之氏は参加してたり、1970年代からコアなファン、マニアックなファン達には話題だったドゥ・ワップ、アカペラ。

それが今のように一般的に大衆に広まるのは1980年代になってからで、又、今のようにDJという職種がもてはやされるのも、小林克也氏登場からと言っても過言ではないでしょう。

勿論、DJ、ディスクジョッキーはそれ以前から「仕事」として成立しており、1970年前後はラジオの深夜放送で、局アナや和製ふぉーくの人達がバカっ話しの合間に曲をかけるそれ、或いは当時からやっておりましたが山下達郎氏や糸井五郎氏のように、バカっ話しは少なめでコアなオールディーズナンバーやソウル、ファンク、R&Bナンバーをラジオで紹介していたDJもおりましたし、1980年前後の映画「サタディ・ナイト・フィーバー」の大ヒットによって起こった空前のディスコブーム以前から、踊り場でDJが軽いトークをはさんで踊れるサウンドを提供しておりましたが(ロック喫茶もしかり)、今のように一般的にDJというのが大衆、世間に認知されるのは、1980年代になってからと言えるでしょう。

というわけで、2015年現在、74才の小林克也氏と62才の山下達郎氏のお二人は、日本でDJ ドゥ・ワップ アカペラという言葉を、今のように一般的にした大功労者だという事で、ご紹介させていただきました。

posted by 麻呂 at 00:00| 和製R&Rリバイバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん