2015年08月23日

リオデジャネイロのイパネマ海岸近くの美少女!エロイーザを思い、無類のプレイボーイ、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスが作った「イパネマの娘」(The Girl from Ipanema)









ボサノヴァナンバーと言えば、最も有名なのが「イパネマの娘」(The Girl from Ipanema)。

ボザノヴァは1950年代半ばから後半、アメリカでR&R(R&B)ムーブメントが吹き荒れていた頃に誕生しており、当サイトでも繰り返し紹介しておりますが、ダンスミュージックとして大衆音楽の人気の王座に長年いたジャズが、ジャズプレイヤー達がビ・バップという非ダンスミュージックに強く傾倒した事によって、大衆は「新しいダンスミュージック」、ジャンプブルース、R&R、R&B、マンボ、そしてボサノヴァに流れたと、当サイト運営者はみております。

で、1962年に「イパネマの娘」(The Girl from Ipanema)を作曲した、ブラジルのアントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)とポルトガル語の原詞を書いたヴィニシウス・ヂ・モライスは、共に無類のプレイボーイだったそう(笑)。

で、リオデジャネイロのイパネマ海岸近くにあったそうなバー「ヴェローゾ」にたむろして当時のブラジルのボサノバアーチスト達は酒を飲むことが多かったそうで、このバーの近所に住む美少女!エロイーザにインスパイアされ作ったのが、こちらの「イパネマの娘」(The Girl from Ipanema)だとか、、、。

この曲の最も有名なヴァージョンは、アメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと、アメリカに移住したブラジルのボサノヴァ歌手ジョアン・ジルベルトが連名で1963年に録音したソレで、アントニオ・カルロス・ジョビンもピアニストとして参加し、ジョアンより9才年下の当時23才の奥様、アストラッド・ジルベルトも歌っております。

英語も話せるアストラッド・ジルベルトは「イパネマの娘」(The Girl from Ipanema)のヒットによって、アメリカで人気歌手になりますが、ジョアンとはほどなく離婚。

なんて事を考えながら「イパネマの娘」(The Girl from Ipanema)を聴いてみると、また、感慨もひとしおかと、、、。





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2015年08月17日

ロッド・スチュワート「アイムセクシー」の盗作疑惑で完全勝訴した「タジマハール」を作ったジョルジ・ベンジョールは、セルジオメンデルで有名になった「マシュ・ケ・ナダ」(Mas, Que Nada)も作った人









アメリカでR&R(R&B)ブームが吹き荒れた1950年代半ばから後半、ブラジルではボサノヴァが誕生しており、リオ・デ・ジャネイロ出身のシンガー&ギタリストのジョルジ・ベンジョールは、1945年生まれでエリック・クラプトンと同い年ですから、10代後半のとても多感な時期にこの時代を経験しております。

18才で兵役を終え音楽の世界で食ってこうと思ったそうですから、コパカパーナのナイトクラブでデビューするのは1963年になってからでしょうか。

で、↑こちらセルジオ・メンデスとブラジル66のヴァージョンで超有名になった↓「マシュ・ケ・ナダ」(Mas, Que Nada)をジョルジ・ベンジョールが発表してるのが、この1963年で10代の時なのが凄いですね。



後にジョルジ・ベンジョールは、サンバにソウル、ファンク、ロックを取り入れた、サンバ・ホッキのスタイルを確立したミュージシャンとして知られ、そのスタイルは後のディスコミュージックやフュージョンに多大な影響を与えたと言えますが、その源流にあったのは、やはり1950年半ばから代後半のアメリカのR&R、R&Bブームと、サンバ、ボサノヴァと言った中南米産の音楽の融合にあったと言えるわけであります。

で、ジョルジ・ベンジョールと言っても、名前に聞き覚えのない方は、かの有名な!ロッド・スチュワートの「アイムセクシー」が盗作疑惑で訴訟され、ロッド側が完全敗訴した、その元歌の「タジマハール」↓を作った人が、こちらジョルジ・ベンジョールであります。



この曲は日本の高中正義氏もカヴァーしてるので、高中ファンの方ならよく知ってますよね。その原曲が、こちらジョルジ・ベンジョールであります。





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2015年04月24日

日本でも愛されたトリオ・ロス・パンチョスの「ベサメ・ムーチョ」(Besame Mucho)は、ムード歌謡の原点だと思う









当サイトでも再三触れておりますが、1960年前後の日本の歓楽街にはビッグバンドが生演奏をし、ホステス含む女性と音楽とダンスを楽しむ社交場、グランドキャバレー、ダンスホール、ミルクホールが盛況で、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に代表されるような、高度成長期の日本人達は、誰もが清く貧しく美しく、明日を信じ額に汗して油まみれになって日々働きずめだったわけではないんですよね(笑)。

一部だったと思いますが、案外、当時の大人達は洒落た金のかかる遊びをしていたわけで、又、当時はダンスミュージックであったジャズだけでなく、中南米、ラテンアメリカのキューバンミュージック、マンボやラテンも演奏しており、当時の歌謡芸能の世界で大人気だった「和製ポップス」(洋楽メロディを日本語詞にのせるソレ)のレコーディングも、彼等ビッグバンドがだいたいやっていたわけであります。

メキシコ系のラテングループ「トリオ・ロス・パンチョス」は、キューバ出身のマンボの「ペレス・プラード」と共に、アメリカに限らず日本でも大人気で、こちら「ベサメ・ムーチョ」(Besame Mucho)も大人気だった曲。当サイト運営者はハワイアン、マンボと共に、日本のムード歌謡の原点は、この曲ではないか?と思っております。

公式デビュー前のザ・ビートルズも「ベサメ・ムーチョ(Besame Mucho)」カヴァーしてますし。



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ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん