2016年08月21日

リアルタイムで、ザ・ビーチボーイズの 「ダーリン」(Darlin')を知ってる日本人は殆どいなかった



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1967年に発表されたザ・ビーチボーイズのアルバム「ワイルド・ハニー」に収録されていた、「ダーリン」(Darlin')ですが、リアルタイムの日本でこのアルバムを持っていた人、 「ダーリン」(Darlin')を知ってた人というのは、相当マニアックな方だったわけで、当時のちょっとした洋楽ファンは、だいたいザ・ビートルズの「サージェント・ペパーズ〜」一色。

時代はグループサウンズブーム全盛時代で、後にザ・ワイルドワンズが再結成後、ザ・ビーチボーイズをカヴァーしてましたが、リアルタイム当時、ザ・ビーチボーイズをカヴァーしていたグループサウンズは皆無。

それほどリアルタイムはザ・ビーチボーイズは日本では、さほど人気のあるバンドではなかったわけで、彼等が今のようにアメリカンバンドの老舗、巨匠扱いを日本でされるようになるのは、当サイトでも繰り返しておりますが、ジョージ・ルーカス監督の出世作になった、日本公開は1974年末と遅れた(ルーカスも出演者も皆、当時は無名だったから)映画「アメリカン・グラフィティ」で、ザ・ビーチボーイズの曲が使われてからの事。

同時期に、ザ・ビーチボーイズの1960年代のヒット曲を集めたアルバム「終わりなき夏」がアメリカで大ブレイクし、日本でもそれなりに売れたので、このあたりからザ・ビーチボーイズは日本でも注目されだしたと言えるわけで、特にこちらの 「ダーリン」(Darlin')はアルバム「アメリカン・グラフィティ」にも「終わりなき夏」にも収録されていなかったので、一般的には山下達郎氏が1984年のアルバム「ビッグ・ウエイヴ」でカヴァーされた事で有名になった曲と、当サイト運営者、断定いたします。



又、1967年という年は、アメリカもヒッピーフラワームーブメントに入っていく年で、後にルーカスが撮った、古き良きアメリカ的な「アメリカン・グラフィティ」が描いたその世界は完全に消滅、若者達の価値観が激変した時代という事もあり、サーフィン・ホッドロッドのイメージの強いザ・ビーチボーイズは、ちょっと分の悪い時代だったとも言えるわけであります。





posted by 麻呂 at 09:02| サーフロック&ビーチボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月28日

1963年のザ・ビーチボーイズの「サーフィンUSA」が流行った頃、未だアメリカでも日本でもザ・ビートルズはレコードすら発売されていなかった









当サイトでも再三触れておりますが、大瀧詠一氏と山下達郎氏の影響でザ・ビーチボーイズは1980年代以降、日本でもレジェンドとして語られるようになりましたし、彼等のアルバム「ペットサウンズ」は最高傑作と評されるようにもなり、我こそはザ・ビーチボーイズファンを名乗る方は「ペットサウンズ」の話しをよくします。

が、これは山下達郎氏も自身のラジオで述べておりましたが、サーフィンホットロッド時代のザ・ビーチボーイズを語らずして「ペットサウンズ」もないわけだし、サーフィンホットロッド時代がザ・ビーチボーイズが世に出た時代ですので、これを無視するのは、実にバカげた話し。

ザ・ビートルズの「サージェントペパー〜」を語り、ソレ以前の所謂「初期」のザ・ビートルズを語らないのと同じぐらいバカげた話し。

こちらの1963年のシングル第3弾!「サーフィンUSA」は、チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」を改作、ドゥ・ワップスタイルのコーラスを入れた事が、当時としてはかなり斬新なスタイルで、それまでサーフィンと言えばインストが基本で、ザ・ビーチボーイズも初期はインストのサーフィンをアルバムに収録しておりましたが、歌入りコーラス入りのサーフィンというのは、当時としてはかなり画期的なスタイルだったと言えるわけです。

で、1963年といえばアメリカでは未だザ・ビートルズ旋風は吹き荒れておらず(イギリスでは既に大人気だったが)、勿論!日本でもザ・ビートルズのレコードも発売されていなかった時代。



まあ、1964年のザ・ビートルズのアメリカ大旋風後、アメリカ側で彼等に対抗できるバンドはモータウンのR&Bグループと、こちらのザ・ビーチボーイズぐらいしかいなかったわけで、ザ・ビーチボーイズ、特に楽曲を主に担当してるブライアン・ウィルソンは、かなりのプレッシャーがあったと伝わっており、ザ・ビーチボーイズは1963年のセカンドアルバム「サーフィンUSA」から、1964~65年、アメリカでザ・ビートルズが大旋風を巻き起こしてる僅か3年の間に、9枚のアルバムを発表してます。

クリスマスアルバムやスタジオライブアルバムがあるとはいえ、まるで一時の日本の芸能界のアイドル歌手ばりのアルバム生産数。

ブライアン・ウィルソンはグループでのライブ活動をこの時期から早くも外れ、スタジオに籠もり、メンバーがライブツアーをやってる間に、スタジオミュージッシャンを集め「ザ・ビーチボーイズ」のオリジナルを作り続けたわけで、そのあとに「ペットサウンズ」がくるわけですから、その経由を語らずして「ペットサウンズ」もあったもんじゃない、、、。





posted by 麻呂 at 08:27| サーフロック&ビーチボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

アメリカでは人気がでなかったクリフ・リチャードは、バックバンドのシャドウズともども本国イギリスと日本ではとても人気の高いシンガーだった









当サイトでも繰り返しておりますが、所謂「オールディーズ」ナンバーで、アメリカで流行った曲、必ずしも日本で流行っていたわけではないですし、日本では流行ったけどアメリカでは売れなかった曲というのがわりと多くあるわけで、こちらイギリスのクリフ・リチャードも、そんな代表的なシンガーだと思われます。

まあ、クリフ・リチャードもアメリカのエルヴィス・プレスリーに影響を受け、10代でイギリスで自身のバンドを組み、そしてヒット曲含め映画、TVまでも網羅し、ザ・ビートルズ登場以前のイギリスが、自前で世界に発信したロックンロールスターであり、彼はイギリスのみならず欧州圏、そして日本でも人気者になったわけですが、アメリカでは何故か?イマイチ人気がでなかった方。

一説ではザ・ビートルズのアメリカレコードデビュー(結果、日本も)が遅れた、アメリカのレコード会社がイギリスのロックンローラー、バンドに二の足を踏んだのは、クリフ・リチャードがアメリカでうけなかったからと言われるほどで、こちら「ヤング・ワン」(Young Ones)も、日本でも売れましたが、何故か?アメリカでは全く売れなかった、古の広い意味での世界規模の「オールディーズ」ファンには、今も昔も人気の高い曲ですね。

ちなみに↓こちらの「サマー・ホリディ」も日本でも売れましたが、アメリカでは全く売れてないですね。



又、彼のバックバンドをやっていたシャドウズも、1960年代半ばから暫くの間、日本でも吹き荒れた空前のエレキブーム期、とても日本で人気の高いバンドだったので、アメリカと違い日本ではクリフ・リチャードもシャドウズも人気が高く、2015年現在、50代から40代後半の方ならお馴染みの!オリビア・ニュートン・ジョンの初来日は、1970年代初頭のクリフ・リチャードとシャドウズのバックシンガーとしてのソレでした。

若き大ブレイク前のイギリス生まれのオリビア・ニュートン・ジョンは、シャドウズのギタリストであり作曲家のブルース・ウェルチの、かつては婚約者でしたから(結婚に至る前に破局)。





posted by 麻呂 at 00:00| サーフロック&ビーチボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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