2015年10月19日

「ルイジアナママ」で日本ではあまりに!お馴染みのジーン・ピットニーの、「非情の町」(Town without pity)」をカヴァーしたストレイ・キャッツの偉業!









日本で所謂「オールディーズ」「50's」というジャンルが確立されたのは、当時人気絶頂だったカーペンターズのアルバム「ナウ・アンド・ゼン」のB面のオールディーズのカヴァー集と、日本上映は1974年とやや遅れましたが映画「アメリカン・グラフィティ」ヒットした1974年のこの時期からだったと言えるでしょう。

そしてこの層が「オールディーズ」「50's」の第一世代とすれば、やはり第二世代は80年代のストレイ・キャッツによって起こった世界的な「ネオロカビリーブーム」通称「ネオロカ」からの、50'sリバイバル層で、ストレイ・キャッツ、そしてソロになったブライアン・セッツアーの影響力は大変この分野ではおおきく、こちらジーン・ピットニーの「非情の町」(Town without pity)など、ストレイ・キャッツがカヴァーしなかったら、よっぽどの!ジーン・ピットニーファンじゃない限り(そういう人に当サイト運営者、未だに会った事はありませんが。笑)、日本で知ってる人はいなかったでしょう。

ジーン・ピットニーと言えば日本では「ルイジアナ・ママ」一発屋イメージが強いうえ、しかもこの曲はアメリカではヒットしておらず、こちらの「非情の町」(Town without pity)」は全米ビルボード最高位13位を記録してますので、アメリカではジーン・ピットニーの出世作はこの曲。ゆえにストレイ・キャッツがこちらをカヴァーしてるのも、理にかなってるわけであります。



で、「非情の町」(Town without pity)」は1961年、カーク・ダグラスの同名主演映画で使われた曲だった事もあり、映画とヒット曲というのはその後もしかりですが、かなりリンクしておりますね。

まあ、こちらの映画、日本でも事件になる事がありますが、ドイツ駐留のアメリカ軍兵士たちのドイツ人少女に対する強姦事件と、加害者でなく被害者へと向かう悪意と嘲笑の閉鎖的田舎町と裁判を描いてる法廷もので、原作は名作!「橋」のマンフレッド・グレゴール。



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2015年10月14日

ブライアン・セッツアーが復活させ若いロックファンに知らしめた、「マラゲーニャ」(maleguana)は元々その昔から日本では人気の高かった曲



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1970年代は、やはり映画「アメリカン・グラフィティ」の影響が大きいですが、1980年代以降にロカビリー、ネオロカ、R&R、50'sファンになった方々は、圧倒的にブライアン・セッツアー(ストレイ・キャッツ含む)の影響が大きいですね。

で、日本人は昔からフラメンコが音楽もダンスも好きなので、こちらブライアン・セッツアーが復活させた、スペインを代表する作曲家、イサーク・アルベニスが作った「組曲エスパーニャ」の第3番「マラゲーニャ」(maleguana)の曲名は知らなくても、一度は聴いた事がある人は、日本人なら老若男女多いと思います。





当サイトでも繰り返し解説しておりますが、日本ではロカビリー、和製ポップス(洋楽メロディを日本語詞をのせるソレ)ブームの1950年代後半、1960年代前半頃からアメリカ一辺倒ではなく、フランスやイタリアのポップスも、フラメンコもラテンキューバンも好んでおり、又、ジャズもハワイアンもフルオーケストラの映画音楽も普通に好まれ流行っていたわけで、ロカビリーブーム、和製ポップスだけが突出していたわけではなかったんですね。

まあ、このへんの「錯覚」は特に地上波TVがね、、、戦後日本を語る時、プロレスの力道山、野球の長嶋茂雄氏と共に、ロカビリーブームの熱狂の観客とステージ映像を必ず!だし続けていたからですが、所詮会場は有楽町の「日劇」=日本劇場、、、観客動員数は約4,000人。

矢沢永吉氏の毎年の日本武道館や、ちょっとした人気バンド、シンガーの各地で満員になる全国ツアーの観客動員数、昨今人気の野外フェスの「数万人単位」の観客動員に比べると、案外小さいソレだったと言えますね。まあ、当時はニュースメディア、地上波が圧倒的な力、影響力を持っていたので、今の若い人はこのへんの時代背景もよく考えて「時代を振り返った方が良い」ですね。



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2015年08月26日

1999年グラミー賞受賞のブライアン・セッツアーオーケストラよりも、日本の場合2004年の映画「スウィングガールズ」の方が、ビックバンド、スウィングが見直された影響は大きいと思う









ストレイ・キャッツでその名を馳せたブライアンセッツアーが、当時は誰もが!驚いたフルオーケストラを引っさげ、R&R、ロカビリーとジャズのフュージョン(融合)をやりだし、1994年にファーストアルバムを発表した頃は、なかなかセッツアーの思うような成功を得る事ができませんでしたが、4年後の1998年に発表したアルバム「ダーティー・ブギ」(The Dirty Boogie)が、ブライアンはストレイ・キャッツ以来15年ぶりに全米ビルボードチャートのトップ10入りを果たし、今に至る名声を得る事になります。

1999年第41回グラミー賞の最優秀ポップ・グループ、最優秀ポップ・インストゥルメンタルの2部門を獲得し、日本ではネオロカ、R&Rファン達の間では盛り上がりましたが、日本のジャズシーンを大きく動かすほどのムーブメントになりませんでしたが、アメリカでは当時、スウィングが一大現象となったそうです。



まあ、日本の場合、ブライアン・セッツアーオーケストラよりも、映画「ウォーターボーイズ」の大ヒットにより、同じスタッフで「二匹目のどじょう」を狙った2004年の映画「スウィングガールズ」の方が、ビッグバンドやスウィングが見直された影響は大きいと思うので、今もあまり日本ではブライアン・セッツアーが標榜したR&R、ロカビリーとジャズのフュージョン(融合)感覚は希薄で(70~80年代に比べると格段の差とはいえ)、ジャズはジャズ、R&R、ロカビリーはR&R、ロカビリーという分離は、残念ながら今も強いような気がしますし、この先もあまり変わらないでしょうね、、、。

もし「スウィングガールズ」で1、2曲、R&R、ロカビリーナンバーを女のコ達のビックバンドが演奏していたら、日本の音楽の歴史も、あれから!きっともっと大きく変わってたでしょうね。







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