2015年09月01日

1961年、全米1位を獲得したザ・マーセルズのヒット曲「ブルームーン」(Blue Moon)は、1934年に作られたジャズスタンダードナンバーのカヴァー





1950年代半ばから後半、アメリカで吹き荒れたR&R(R&B)ブームが沈静化した1961年に、アメリカのR&B ドゥーワップのグループのザ・マーセルズが歌い全米ビルボードチャート1位を獲得した「ブルームーン」(Blue Moon)は、ジョニー・シンバルの「ミスター・ベースマン」か?サーフィン・ホットロッドブーム時代の雄!ジャン&ディーンヴァージョンの「ハート・アンド・ソウル」かって感じの印象的な「声」で曲がはじまるわけですが、まあ、当サイト運営者、普通にザ・マーセルズのオールディーズヒットと長年思っておりましたら、、、

この曲は元々ジャズのスタンダードナンバーをアップテンポにし、そしてドゥワップスタイルのコーラスを入れたアレンジの勝利のヒット曲だった事を、かなり後から知りました。

「ブルームーン」(Blue Moon)は、大東亜戦戦争勃発の前も前、1934年に作られた曲だそうで、まあ、「アンタッチャブル」ってな映画にもなったのでご存知の方も多いと思いますが、アル・カポネの脱税裁判がはじまったのが1931年ですから、随分と昔の曲、、、。

作ったのはジャズファンにはお馴染み!「マイ・ファニー・バレンタイン」や、映画「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」でお馴染み!リチャード・ロジャースと知ったのも、かーなり後になってからでした。音楽というのは本当に調べれば調べるほど!新しい発見、繋がりがあって、びっくりしますね〜。



♪ドはドーナツのド と、ペギー葉山さんが訳詞をつけ歌った、日本人でも老若男女、誰でも知ってると思うあの!「ドレミのうた」(サウンド・オブ・ミュージック挿入歌)の作曲者、役所広司氏主演の同名映画が大ヒットしたので「王様と私」は知らなくても「シャル・ウィ・ダンス?」は知ってる方が多いと思う、あの「シャル・ウィ・ダンス?」の作曲者が、「ブルームーン」(Blue Moon)と同じリチャード・ロジャース。

で、当サイト運営者は、1956年のエルヴィス・プレスリーのファーストアルバム「エルヴィス・プレスリー登場」で、「ブルームーン」(Blue Moon)は初めて知ったわけですが(勿論、リアルタイムではありません)、随分と眠たくなる曲だなーと、正直あまりエルヴィスヴァージョンは好きではなかったのですが、後からこの曲はジャズナンバーのカヴァーと知り、ジャズヴァージョンを色々聴いてみたら「良い曲」な事に、か〜なり後から気ずいたマヌケ野郎でした(笑)。

まあ、エルヴィスは当時、全く新しい音楽!R&R(R&B)、ロカビリーをひっさげ登場した新進気鋭のエンターティナーだったわけですが、既に当時で20年以上も前のスタンダードだった「ブルームーン」(Blue Moon)もカヴァーし、デビューアルバムに収録していたのは、なかなか面白いと思う次第、、、。





で、ザ・マーセルズの「ブルームーン」(Blue Moon)は1961年の全米ビルボードチャート1位曲だったし、ジョージ・ルーカス好みの「黒っぽい」曲なのに、何故に?監督のルーカスは自身の映画「アメリカン・グラフィティ」で、この曲を使わなかったのかな〜?。1962年の夏の1日を描いたあの映画でもしこの曲を使ってたら、もっと早くに当サイト運営者も、この曲の「経緯」がわかったのになー、なんて、自分のマヌケぶりをルーカスのせいのように(笑)思ったりいたします、、、。





posted by 麻呂 at 00:00| ドゥワップ コーラス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

1956年 全米ビルボードチャート1位に輝いた黒人コーラスグループ、プリテンダーズの「グレイト・プリテンダー」(Great Pretender)









「グレイト・プリテンダー」(Great Pretender)は、黒人コーラスグループ、プリテンダーズが1956年に全米1位に輝いた名曲であり、70年代後半から80年前半頃に「オールディーズ」「50's」「R&R」(R&B)ファンになった層は、だいたい映画「アメリカン・グラフィティ」(日本公開は1974年末)の影響を受けてますから、この映画でも効果的に「グレイト・プリテンダー」(Great Pretender)は使われていたので、こちらでお馴染みの方も多いでしょう。

1956年と言えば、かの!エルビス・プレスリーが全米で大人気になる年で、彼の「ハート・ブレイク・ホテル」がビルボードチャートで1位を獲得するのが5月で、こちら「グレイト・プリテンダー」(Great Pretender)は2月。正に!R&R(R&B)ムーブメントの時代なわけですが、黒人のような衣装に黒人のようなダンスを踊り黒人のような歌唱で唄う「白人の」エルビス・プレスリーは勿論、黒人のロックンローラー、プリテンダーズ等のR&Bグループ(ドゥ・ワップ含め)等、黒人がヒットチャートに登場し、それに白人の若者達が熱狂するのを、快く思っていなかった白人の大人達がいたのは、R&R(R&B)伝説の定説になってますね。

まあ、諸説色々ありますが、アメリカのR&R(R&B)ムーブメントは主に1955~58年の短いもので、それはこの快く思っていなかった白人の大人達の影響、極端にいえば足を引っ張る妨害工作があったのは、否めないでしょう。

プラターズは1953年に結成され、そのR&R(R&B)ムーブメント中にヒット曲を連発させますので、「オールディーズ」「50's」「R&R(R&B)」を語る時、必ず!出てくる黒人コーラスグループなわけであります。





posted by 麻呂 at 00:00| ドゥワップ コーラス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月08日

1980年のシャネルズのファーストアルバム「Mr.ブラック」のB面、ドゥ・ワップカヴァー集で日本でも知れ渡った、ザ・コーズの「シュブーン」(SH-BOOM)









当サイトでも幾度も紹介しておりますが、日本でドゥ・ワップという言葉が、今のように当たり前に普及するのはシャネルズが「ランナウェイ」のヒットを引っさげ、顔を黒くぬりたくったフロント達が面白がられ、お茶の間の人気者になり、グループのリーダー鈴木雅之氏やメンバーの田代まさし氏が「自分達の音楽はドゥ・ワップ」と述べるようになった1980年から。

リアルタイム50年代や60年代初頭に、日本で「ドゥ・ワップ」という言葉は、一般的に使われる事はありませんでしたし、これも当サイトで繰り返し紹介しておりますが、70年代から大滝詠一氏や山下達郎氏が「ドゥ・ワップ」を実践しておりましたが、それを再評価されるようになるのも1980年代になってからで、70年代は全く「ドゥ・ワップ」という言葉は、日本では一般的ではありませんでした。

こちら1954年ザ・コーズの作品「シュブーン」(SH-BOOM)は、全米ビルボードチャート最高位9位を記録してますが、リアルタイムで日本で売れた形跡はなく、ザ・コーズも「シュブーン」(SH-BOOM)は、1980年のシャネルズのファーストアルバム「Mr.ブラック」のB面に収められいたドウ・ワップカバー集で、シャネルズファンを中心にやっと知られるようになりましたから、日本でドゥ・ワップを広めたシャネルズの功績というのは、もっと再評価されても良いと思われます(勿論、大滝詠一氏と山下達郎氏も)。



で、「シュブーン」(SH-BOOM)は、白人ドゥ・ワップグループのクルーカッツにもカヴァーされ、こちらは全米ビルボードチャート1位を獲得しておりますが、作詞作曲はザ・コーズのメンバーで、黒人グループのザ・コーズがオリジナルです。

まあ、1954年という年は、ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が、映画「暴力教室」で使われ大ヒットし、アメリカでR&Rムーブメントが巻き起こる1年前で、同1954年、同じく黒人ドゥ・ワップグループ、ザ・クロウズの「Gee」とともに、ザ・コーズの「シュブーン」(SH-BOOM)は、白人の聴衆に初めて紹介された、黒人のR&Bナンバーと位置ずけれておりますので、R&R(R&B)、オールディーズ、フィフティーズファンには、とても研究しがいのある時代でもあり、当時のシャネルズのセンス、音楽ヲタぶりが、いかに抜群だったかわかるわけです。





posted by 麻呂 at 00:00| ドゥワップ コーラス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん