2016年03月13日

1977年のエルビス・プレスリーの死の4年後、1981年にはビル・ヘイリーも亡くなられている



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思わず腰や脚が動きだす音楽。R&R、ロカビリーに限らず、R&B、ソウル、ファンク、ラテン、スゥインギーなジャズ等々、世の中には沢山あるわけですが、こちらエルビス・プレスリーやチャック・ベリー等と並んで、古のR&R(R&B)、ロカビリームーブメントで、必ず名前がでてくるビル・ヘイリー。

プレスリーが享年42才、1977年に他界しておりますが、その4年後の1981年に、ビル・ヘイリーも享年55才に他界されておりますが、1970年前後、イギリスとアメリカでふってわいたようなR&Rリバイバルブームが起こり、↓こちら1972年にロンドンで行われたR&Rリバイバルショーでのビル・ヘイリー。熱狂の渦の中です。



結局、1970年代初頭のイギリスのグラムロックムーブメントの基本は、R&Rリバイバルで、更にアメリカでも、当時未だ無名だったジョージ・ルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」が大当たり。ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」はオープニングテーマにも使われた事もあり、ビル・ヘイリー二度目の我が世の春が来たと思いきや、、、

ありがちですが、既に人に騙されたり音楽以外の商売に失敗したりが原因なのかも知れませんが、ビル・ヘイリーはアル中で、この後、脳腫瘍も煩い表舞台にでる事もなく1981年に他界されており、当時、エルビス・プレスリーと違い、日本で彼の死が大々的に報道された記憶は、当サイト運営者ありません。

今からながらビル・ヘイリーはR&R(R&B)、音楽の歴史を語る時、必ず!今も、そしてこれからも出る方、いや、ださないソレはインチキ、もぐり。それほど強烈なインペクトを歴史に刻みました。心よりご冥福をお祈りいたします。





posted by 麻呂 at 21:44| ビルヘイリーと彼のコメッツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月08日

ビル・ヘイリーと彼のコメッツ Bill Haley & His Comets- Rock Around The Clock



「いやいや、それ以前にR&Bが」「ブルースが」「いやジャズやブギウギの流れもあった」、、、と、言い出したらきりがないのですが(笑)、チャート評論家のフレッド・ブロンソンは、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(Rock Around The Clock)がビルボードホット100チャートで1位を記録した1955年7月9日以後を「ロック時代」(Rock Era)と定義してるようで、一般的にも、まあ、この曲の大ヒットがR&R史の始まりだと定説になってる曲ですね。

1954年に「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(Rock Around The Clock)を発表、当時としては問題作だった、アメリカの不良少年、荒れた学校を描いた1955年上映の「暴力教室」のテーマにこの曲が起用されるや、映画共々、楽曲も大ヒット!ビルボード8週連続1位の快挙を成し遂げたわけで、まあ、色々、資料を調べていくとこの前後、R&R(R&B)は既に黒人に限らず白人の若者達には、深く浸透していたようで、タイミングが映画も音楽もドンズバではまったのでしょう。

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が!しかし!既にこの時、三十路を迎えたビル・ヘイリーではなく、若くてハンサムでカリスマ性のあるエルビス・ブレスリー登場他、多くの自分よりもかなり若いR&Rスター達に大衆は魅了されだし(R&Rフリークが、そもそも若者達だったから)、陰が薄くなっていったそう、、、。

1973年、無名時代のジョージ・ルーカスの「アメリカングラフィティ」のオープニング、サントラ盤の1曲目に起用され、新たなファンが世界中で出来るも、ビル・ヘイリーはこの頃からアルコール中毒に陥り、演奏が困難になり、やがて脳腫瘍を患い1981年に死去してしまうんですね。享年55才。

映画「暴力教室」で、若きシドニー・ポワチエと共に不良少年を演じたヴィック・モロー(あの!コンバットのサンダース軍曹のデビュー作)は、ビル・ヘイリーが死去した翌年、「トワイライトゾーン/超次元の体験」第1話(ジョン・ランディス監督)撮影中、頭上から模擬爆弾の爆風を受けたヘリコプターが落下。共演していたベトナム出身の2人の子供と共にローターに巻き込まれて死亡。享年53才。

人生は洋の東西問わず、何時、何が起きるかわかりません。厳しい、、、。

ヴィック・モローの遺作になった「トワイライトゾーン/超次元の体験」↓




posted by 麻呂 at 07:10| ビルヘイリーと彼のコメッツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

BILL HALEY & THE COMETS - Razzle Dazzle ビルヘイリーと彼のコメッツ



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BILL HALEY & THE COMETS - Razzle Dazzle ビルヘイリーと彼のコメッツ

ビルヘイリーと彼のコメッツは見ての通り、今の若い方はそうではないと思いますが、70年代80年代の当時の最先端エレキ機器を駆使した「テクノ」であったロック好きの初老中高年の方々には、非常に!「古くさい」編成に感じるであろう、アコースティックベースに管楽器いり、ギターもセミアコ、フルアコの類いのジャズコンポと殆ど同じバンド編成。

しかも!80年代前後、原宿、代々木公園あたりで、ぶいぶい言わせてた方々はR&R=皮ジャンとツイストのイメージが強いであろう、R&R、ロカビリーですが、演奏する側も客席(踊る人々)も正装で、ツイストではなく踊っているのはジルバ。

1950年代リアルR&R、ロカビリーブームは、正装したアメリカ白人達が、思わず腰をふりふり♩踊りださずににゃいられない(Byクールス)もの凄い!グルーヴィングな音楽だったわけで、よって黒人シンガー、プレイヤーもR&Rスターには多々いた事もあり、未だ未だ「黒人公民権」がケネディ暗殺(1963年)の翌年、1964年に制定される以前のアメリカですから、色々とアメリカ白人の世界ではR&R(R&Bも)、ロカビリーは揶揄中傷、問題視されていたんだなと、想像がつくわけでございます。

そして映画「暴力教室」の挿入歌として大ヒットした、1955年のアメリカのビルボードホット100チャートで8週連続1位という大ヒットを記録、「R&Rの最初で最大のヒット曲」とされ、ギネス・ワールド・レコーズの認定によれば、世界中で通算2500万枚(推定)を売り上げた「Rock Around The Clock」の大ヒットをだしたビル・ヘイリーではなく、何故?白人大衆はエルビス・プレスリーに熱狂したのか?、、、。

尊敬する音楽評論家の萩原健太氏の文献によると、この当時既に三十路であったビル・ヘイリーのルックスと、未だ二十歳そこそこの若きエルビス・プレスリーのルックスの差と解いておりますが、当サイト管理人も萩原氏の説を支持いたします。

これは60年代半ばから後半の日本のエレキブーム、グループサウンズ(GS)ブームの「実力派」と業界筋では圧倒的に支持されていた腕利きミュージシャン揃いのジャッキー吉川とブルーコメッツ、寺内タケシとブルージーンズと、アイドル人気抜群だった若きザ・タイガース、人気者のジュリー、沢田研二氏の差と同じと考えると、日本の初老中高年の方でも納得いくのではないでしょうか?、、、。

ビルヘイリーと彼のコメッツのメンバーが少年時代、楽器を始めようと思った初期衝動の頃、世界にはまだR&Rという音楽は誕生していなかったので、皆、おそらくジャズ、R&B、C&W、或いはクラシックで楽器を覚えてると想像がつきますので、R&R、ロカビリーは、いざ!演奏してみると、グルーヴをだすのも演奏も、とても!実は!難しいのは、熟練のミュージッシャンサイドの方々ならご承知の筈。

ジャズ、R&B、C&W、或いはクラシックで楽器を覚えたミュージッシャン達が、R&Rと言われる、時代の寵児になる音楽を演奏していたのですから、その音源、演奏、グルーヴはいつ迄も時代を超え色あせないのは当然ですね。



posted by 麻呂 at 16:09| ビルヘイリーと彼のコメッツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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