2015年08月06日

1950年代後半イギリスで流行ってたスキッフルと、アメリカで大ブレイクしたR&R(R&B)ブームの最中に生まれたザ・ビートルズの原型









日本上映は2010年、イギリスでは2009年上映の、ザ・ビートルズ結成前の若きジョン・レノンを描いた伝記映画「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」(Nowhere Boy)↑の中の、若きジョン・レノン率いるクォリーメンのライブシーンと、ジョンとポール・マッカートニーが出会った時を描いたシーン。

時は1957年、アメリカではR&R(R&B)ブームが大爆発してた時期で、イギリスはリヴァプールにもその余波はやってきていたようで、1942年生まれのポール・マッカートニーこの時14~15才。1940年生まれのジョン・レノンは16~17才。多感な思春期時代です、、、。

ジョン・レノンが率いていたクォリーメンは、当時イギリスで流行っていたと伝わるジャズ、ブルース、フォーク、カントリー・ミュージックなどの影響を受けたフュージョン(融合)ミュージック、スキッフルという音楽スタイルのバンドで、ロニー・ドネガンという人がイギリスで人気を博していたそう。↓





スキッフルは元々、20世紀初期のアメリカ南部で発展した音楽のようで、日本でも1935年結成の元祖「ボーイズ」「コミックバンド」と伝わる「あきれたぼういず」の坊屋三郎氏が、「あきれたぼういず」解散後、一人でも「あきれたぼういず」時代からの芸、洗濯板を改造した楽器演奏をやられていたので、「あきれたぼういず」を知らない2015年現在、還暦前後から40代後半ぐらいの人でも、TVでご覧になられた方もいる事でしょう。↓



ジョン・レノン率いるクォリーメンと同じように、スキッフルに影響をうけ初めて手にした楽器は洗濯板だったそうなジョージ・ハリスンがギターを手にするのは、エルヴィス・プレスリー大ブレイクの1956年、13才の時と伝わっていますから、当時のイギリスのスキッフル人気とアメリカのR&R(R&B)大ブームの影響こそ、ザ・ビートルズの音楽的ルーツと言えますね。







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2015年03月09日

ザ・ビートルズがデッカ・レコードのオーディションを落とされた時の音源「メンフィス・テネシー」(Memphis, Tennessee)








ザ・ビートルズが公式デビュー前、1962年1月にデッカ・レコードのオーディションを落ちた時の音源の1曲。チャック・ベリーの「メンフィス・テネシー」(Memphis, Tennessee)のカヴァー。

まあ、歴史に「たられば」はないが、もしデッカ・レコードのオーディションに受かっていたら、ザ・ビートルズはジョージ・マーティンとの出会いはなかったし、又、「メンフィス・テネシー」(Memphis, Tennessee)我もし、ザ・ビートルズの公式アルバムでレコーディングされていたら、もっと!一般的に有名になっていた曲でしょう(例えば同じくチャック・ベリーの「ロック・アンド・ロール・ミュージック」や「ロール・オーヴァー・ベートーベン」のように)。

当サイトで幾度となく触れておりますが、チャック・ベリーはザ・ビートルズがカヴァーした事で、日本では認知度が高くなったので、それ以前の日本のロカビリーブーム、和製ポップス(洋楽メロディを日本語で歌うソレ)ブームの頃、日本では殆ど知られておりませんでしたし、売れておりませんでした。

チャック・ベリーに限らず、ザ・ビートルズの公式アルバムでカヴァー収録されてる楽曲、シンガー(グループ)は、今や「当たり前」に知られてますが、それはザ・ビートルズによって!日本では有名になったと、リアルタイムを知らない若い世代の方々は思って間違いないです。

誤解されると困るのですが、これは日本が「遅れてた」のではなく、ザ・ビートルズが、当時としてはかなり特殊な趣味趣向をしていたという事であり、これはザ・ローリング・ストーンズやエリック・クラプトン、ジェフ・ベック等の、60年代半ば以降のイギリスのミュージッシャンの、アメリカの白人でもよくわかってなかったR&R、R&B、ブルース等の、マニアックでヲタな趣味趣向も同じです。

又、これも当サイトでも幾度となくほざいてますが、1960年前後の日本の「和製ポップス」(洋楽メロディに日本語詞をのせるソレ)ブームは、必ずしもアメリカ一辺倒ではなく、欧州圏の楽曲もとりあげてましたし、R&Rは和製ポップスブームのほんの一部分で、当時はR&Rという言葉が一般的だったとは、当サイト運営者は思えません。R&Rではなく「ロカビリー」が普通の呼び名でしたから。

よって、例えば日本で「R&R」という言葉が、本当に今のように「当たり前」になる、かなり!前の1973年3月。日本のキャロルのファーストアルバムのB面に、チャック・ベリーのこちら「メンフィス・テネシー」(Memphis, Tennessee)や「ジョニー・B・グッド」が収録されていた頃、日本で「R&R」という言葉、ジャンルを認識していた人は、そうは!いなかったと記憶しております。

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1973年当時は、その前年の「結婚しようよ」の大ヒットに端を発した吉田拓郎氏はじめとした、歌謡史に残る!空前の!和製ふぉーくブームの真っただ中でしたから、皆、長髪にベルボトムのジーパンで、和製ふぉーくを聴くのが(一部、ニューロック)当時の若者達の普通のスタイルでしたから、革ジャン&リーゼント(ポマード長髪オールバックとも言われますが)でR&Rを奏で歌う、キャロルは本当に!異端だったんです。

繰り返しますが、日本でチャック・ベリーが有名になるのは、ザ・ビートルズ日本レコードデビューの1964年以降、ザ・ビートルズが彼の曲を公式アルバムでカヴァーしてたからで、こちら「メンフィス・テネシー」(Memphis, Tennessee)は、ザ・ビートルズの公式アルバムに収録されていなかったので、日本のキャロルが1973年3月のデビューアルバムのB面でカヴァーする迄、殆どの日本人は知らなかったです。

これ、今や当たり前!R&Rと言えば定番の「ジョニー・B・グッド」しかりで、こちらもザ・ビートルズもザ・ローリング・ストーンズも公式アルバムではカヴァーしてないので、当時の日本人には殆ど馴染みのないR&Rナンバーで、「メンフィス・テネシー」(Memphis, Tennessee)同様、日本ではキャロルが有名にした曲と言っても過言ではないと、当サイト運営者は思います。



キャロルの矢沢永吉氏か?、キャロルヴァージョンではリードボーカルをとったジョニー大倉氏か?、或いはプロデュースのミッキー・カーチス氏か?、「メンフィス・テネシー」(Memphis, Tennessee)は誰の推しで歌い演奏し録音したのか?当サイト運営者にはわかりませんが、キャロルはポール・アンカの「ダイアナ」やニール・セダカの「恋の片道切符」など、当時は「オールディーズ」というジャンルは確立されてなかった日本でしたが、後に日本のオールディーズといえば「お馴染み!」の楽曲をやっていたバンドだったら、逆に!もっと最初から売れていたでしょう。

というわけで、キャロルのファーストアルバムのB面カヴァー集(A面はオリジナル集)は、ジャパニーズR&Rリヴァイバルの歴史の中で重要な1枚なのは間違いありませんが、リアルタイム当時の日本では、ザ・ビートルズがカヴァーしていたので有名な「カンサス・シティ」以外は、あまり馴染みのない曲ばかりだったので、後世で思われてるほど、キャロルのファーストアルバム「ルイジアンナ」は、実は売れませんでした。

ちなみにチャック・ベリーは50'sの日本で人気はなかったですが、エルヴィス・プレスリーはそれなりに人気もありファンもいたので、もしかするとエルヴィス・プレスリーヴァージョンで↓、こちら「メンフィス・テネシー」(Memphis, Tennessee)を、キャロルがデビューする前に既に知っていた、当時の日本のエルヴィスファンはいたかも知れないです。



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2015年02月27日

1964年 全米ビルボード年間チャート1位、2位を独占した、ザ・ビートルズという「ビジネスモデル」の多大な影響力!



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1964年、全米ビルボードチャート、年間1位、2位は、イギリスはリヴァプール出身のザ・ビートルズの「抱きしめたい」(I Want To Hold Your Hand)と「シー・ラブズ・ユー」(She Loves You)だったという歴史的事実。

例えば、日本で「オールディーズ」というジャンルを確立したとも言える、1973年制作、日本公開は1974年公開の映画「アメリカン・グラフィティ」の、あるアメリカの地方都市の1日の設定は、ザ・ビートルズ登場以前の1962年にされており、このへんは監督のジョージ・ルーカスの思いもあると思いますが、この映画の影響で、だいたい「オールディーズ」とくぐられるソレは、ザ・ビートルズ登場以前の1962年以前のモノと、一般的にはされております。

が、しかし!実際にザ・ビートルズが公式にレコードデビューした1962年10月5日から1963年にかけては、本国イギリス以外、特に当時世界最大の!レコードマーケットだったアメリカで、ザ・ビートルズは火がついておらず、1964年2月1日に、全米ビルボードチャートでイギリス勢として史上初めて!「抱きしめたい」(I Want To Hold Your Hand)が1位を獲得してから、アメリカで空前のザ・ビートルズ旋風が巻き起こっており、特に日本などはアメリカのその影響で、ザ・ビートルズのレコードが初めて!売られるようになるわけで、世界的にもザ・ビートルズが大人気になるのは、この1964年からだと言えるわけであります。

繰り返しますが、全米ビルボードの1964年の年間チャートの1位と2位を、異国の!イギリスのザ・ビートルズの2曲が独占したというのは、これは凄まじい歴史で、又、ザ・ビートルズの初期のサウンドや彼等の言動、そして自分達で曲を作って歌って演奏し、そして自分達で自分達の曲の版権は管理する(例えマネージャーのブライアン・エプスタインがいたとしても)やり方は画期的、まあ、昨今で言えば若き「ヴェンチャー企業」の成功者みたいなものだったのが、ザ・ビートルズだったわけであります。

このへんのザ・ビートルズという「ビジネスモデル」がわからないと、日本の矢沢永吉氏が若い頃から言っている「ビートルズの影響」って、多分、熱狂的な矢沢永吉ファンでも、よくわからないと思います。







勿論、それ以前のロックンローラー達は自作自演の方が多かったですし、ザ・ビートルズより先に、アメリカのザ・ビーチボーイズが自作自演の「ビジネスモデル」で、全米で成功しておりますが、例えばソングライターチームがいて、それを歌うシンガー、グループがいて、そのバックで演奏するミュージッシャン達がいる「当たり前」の分業制、更にはソングライターチームを雇ってる音楽出版会社、レコード会社があるという「ビジネスモデル」を、ここまで見事にひっくり返したグループは、それまでいなかったと言えるわけです。

まあ、ザ・ビートルズも凄かったですが、マネージャーのブライアン・エプスタインとプロデューサーのジョージ・マーチンが「それで良い」と決断した眼力も、時代を考えると画期的。

本当に!何時を境にして「オールディーズ」というジャンルを区切るのか?難しいのですが、当サイトはザ・ビートルズがアメリカで大旋風を巻き起こした、この1964年。更には音楽とは関係ないですが、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが1963年11月22日にテキサス州ダラス市で暗殺された事件の、政府の「怪しい事件解決発表」によって、それまで第二次世界大戦の戦勝国として「強くて豊かなアメリカ」「アメリカの正義」のキャンペーンをはり続けてたアメリカ政府、アメリカの大人達に、多くのアメリカや世界の若者達が、疑問を抱き始めた時期。

このへんが「オールディーズ」の一区切りではないか?と、当サイトは独断でしております。

70年代後半から80年代に特に流行った、所謂「オールディーズ」「フィフティーズ」時代の「古き良きアメリカ」が、本当にそうだったのか?近代史を調べると甚だ疑問なわけで、実際にアメリカの黒人達が「公民権」を得るのは、ザ・ビートルズがアメリカで大旋風を巻き起こした1964年であり、それ以前のアメリカの黒人にはそれがなかった。そんな時代を「古き良きアメリカ」と簡単に言っていいのか?という素朴な疑問。



キング牧師の尽力も多大ですが、「黒人公民権」は亡きケネディの遺産を、次のジョンソン大統領が成立させたわけですが、実は!ベトナム戦争もケネディの遺産であり(暗殺間際は自らの失敗を認め、撤退を模索してるが)、ジョンソンはそれを更に拡大させ、泥沼のベトナム戦争にアメリカは入っていくわけです。

だから!「ベトナム戦争の泥沼」以前が「古き良きアメリカ」とよくされるわけですが、アメリカはベトナム戦争以前に1950~53年の間、朝鮮戦争にも介入し、実質この戦争も撤退撤収しており、勝利などしてないのに、あまりこの朝鮮戦争は語られず、朝鮮戦争をやっていたにも関わらず「古き良きアメリカ」って「おかしくないか?」という、素朴な疑問もあるわけです。

posted by 麻呂 at 07:34| 公式デビュー前ザ・ビートルズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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