2015年04月17日

今夜限りのTALK LIVE 〜あの頃みんな若かった〜 ブルーコメッツのメンバーのインタビュー、勉強になるよ〜♪



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70年代初頭の、日本のR&Rリバイバルに大貢献した!ダウンタウン・ブギウギ・バンドのリーダー宇崎竜童氏が司会をし、それ以前の60年代のグループサウンズブームの雄、ブルーコメッツのトークライブ。

ブルーコメッツの歴史は長く、1950年代後半から米軍キャンプ回りのバンドマンを中心に結成され、渋谷のジャズ喫茶を中心に活動したそうで、こちらのトークライブでも述べられてるように、中尾ミエさんやザ・ピーナッツなど、当サイトでも再三再四紹介してる1960年前後の「和製ポップス」(洋楽メロディを日本語詞をのせたソレ)ブーム時代、大人気だった女性シンガー等のバック演奏をやっていたわけです。

こちら↓田代みどりさんの「パイナップル・プリンセス」。バックの演奏は、スマイリー小原とスカイライナーズ。



戦後日本を占領統治してたアメリカGHQ相手に演奏していたジャズのビッグバンドや、小さいジャズ喫茶やホールで演奏していたカントリーバンド。そして「日劇ウエスタン・カーニヴァル」に「和製ポップス」ブーム。

その流れからブルーコメッツやスパイダース、寺内タケシとブルージーンズ、シャープファイブ、或いはザ・ドリフターズといったエレキバンドスタイルが、1965年のザ・ヴェンチャーズブームやザ・ビートルズの影響で波及。俳優の加山雄三氏率いるランチャーズ、加山雄三氏が命名したワイルド・ワンズ含め、1966年頃からグループサウンズブームが始まるわけです。

で、当サイトでも触れておりますが、日本で今のようにドゥ・ワップというジャンルが一般的に広く知れ渡るのは、1980年にパイオニアのラジカセ『ランナウェイ』のCMソングだったシャネルズの「ランナウェイ」の大ヒットからで、この曲を作曲されたのがブルーコメッツの井上忠夫氏。

こちらも当サイトで再三とりあげてる、日本でオールディーズ、50's、R&R、そしてザ・ビーチボーイズ、ドゥ・ワップ、アカペラを広めた功労者!山下達郎氏の、1980年代初頭の中野サンプラザでのライブの客席で当サイト運営者、井上忠夫氏をお見かけした事がありますが、井上氏はサックス・プレイヤーとして、山下達郎氏の「悲しみのJODY」「スプリンクラー」などに、この後参加してます。

三原綱木氏はビッグバンド「ザ・ニューブリード」を率い、紅白歌合戦等で指揮者としても活躍しており、又、一青窈さんは小田啓義氏の音楽スクール出身であり、「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」を知らない世代でも、案外、彼等の音楽活動関連には、普通に接しているんですね。





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2015年04月04日

ジェリー・リー・ルイスの「火の玉ロック」はリアルタイムの日本では、雪村いづみさんが歌っていた♪









↓3リズムのジェリー・リー・ルイスヴァージョンと、フルオーケストラの雪村いずみさんヴァージョンを聴き比べると、如何に!日本のロカビリー時代のバンド、サウンドは基本「ジャズ」なのが、よくわかりますね。



当時の日本の歌謡芸能の世界の方々は、調べるとかなり凄い事をやってるわけで、有名な坂本九氏の「スキヤキ」(上を向いて歩こう」の全米ビルボードチャート1位獲得(今の今迄!日本人唯一)は勿論、笠置しず子さんしかり、江利チエミさんもしかりですが、1959年から1960年代にかけ、雪村いずみさんも渡米しており、ダイナ・ショアの人気番組NBCテレビに出演、シャーリー・マクレーンなどと共演したり、アメリカツアーを行なっているのは、時代を考えると偉業ですね♪。

ですから雪村いずみさんの子供の朝比奈マリアさんは、アメリカ人のご主人(後に離婚)との間にアメリカで生まれたハーフ&帰国子女なわけであります。これ1960年代のお話しです。

ちなみに、日本はR&R=ツイストイメージが強いですが、当サイトでも再三再四触れておりますが、チャビー・チェッカーの「ツイスト」「レッツ・ツイスト・アゲイン」が流行り、ツイストというステップがアメリカ、西欧(当時)、そして日本で大流行りするのは1960年代初頭であり、50'sR&R時代はツイストは未だ存在してないので、正確には基本ステップはジルバ!、、、ダンスミュージックのジャズと同じなんですね。





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2015年03月18日

日本の元祖!ドゥ・ワップは「ザ・キングトーンズ」で、まず間違いないでしょうね。









日本で「ドゥ・ワップ」という音楽ジャンルが一般的になるのは、お茶の間人気になった1980年のシャネルズの「ランナウェイ」とファーストアルバム以降と、当サイト運営者は断定しておりますが、コアなファンの方々なら「釈迦に説法」ですが、それ以前から大滝詠一氏や山下達郎氏は「ドゥ・ワップ」に注目、実践していたわけですが(その後、日の目をみて有名になりますが)、更に!遡るとザ・キング・トーンズに行き着くようになっています。

日本は元々、ダークダックス、デュークエイセス、ボニージャックスといったコーラスグループが人気でしたが、当時「ドゥ・ワップ」という言葉は1950~60年代の日本では一般的ではなく、巨匠!山下達郎氏は、そんな時代から活動していたザ・キングトーンズこそが!、日本の「ドゥ・ワップ」の元祖と位置ずけていたと、当サイト運営者は記憶しております。

ザ・キングトーンズはグループサウンズブーム最盛期の1968年、「グッド・ナイト・ベイビー」が大ヒットして、一般的に有名になったわけですが、この時メンバーは既に全員!三十路を越えていたベテラン。

というわけでザ・キングトーンズは「グッド・ナイト・ベイビー」の大ヒット以前の10年前、1958年に結成されており、在日米軍の慰問にきた、あの!プラターズや、アル・アルバーツ、トニー・ウィリアムズ、ルー・ロウルズらとも共演しており、又、1960年初頭の「和製ポップス」(洋楽メロディに日本語詞をのせるソレ)ブームでは、「ツイスト男」=藤木孝氏や、田代みどりさん等多くの歌手のレコーディングでバックコーラスに参加していたほど、一般的には知られておりませんでしたが、音楽業界では有名なグループだったわけですね。

↑こちらは、日本では特に1970年代半ばから後半、流行った映画「アメリカン・グラフィティ」で使われた事で有名になった、あの!プラターズの「煙が目にしみる」(Smoke Gets In Your Eyes)のカヴァー。

ザ・キングトーンズは有名になる前から!プラターズが得意だったそうです。

余談ですが、この「煙が目にしみる」(Smoke Gets In Your Eyes)は1933年、大東亜戦争の8年も前に発表されたジャズのスタンダード曲で、プラターズは(ナット・キング・コールも)、それをリバイバルヒットさせたのであります。





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