2016年01月06日

映画「スターウォーズ」のレイア姫、キャリー・フィッシャーのパパは、ペギー葉山さんが日本語カヴァーして日本でもお馴染みだった「オー!マイパパ」(Oh! My PaPa)で有名なエディ・フィッシャー









こちら「オー!マイパパ」(Oh! My PaPa)は、日本でもペギー葉山さんがカヴァーし大ヒットさせており、1950年代から60年代、日本のTV番組でもよく色々な方がカヴァーし歌っていた曲でした。

で、こちらの曲はエディ・フィッシャーという人気歌手がアメリカで放ったヒット曲なわけですが、このエディ・フィッシャーの娘が、映画「スター・ウォーズ」ファンにはお馴染み、あの!レイア姫を演じたキャリー・フィッシャー。

ママは、こちらはオールディーズファンには、全米ビルボードチャート1位曲「ターミー」(Tammy)の大ヒット!でお馴染み、更に!ミュージカルファンにはジーン・ケリーの「雨に唄えば」のヒロインに抜擢され、その人ありとなったデビー・レイノルズ。



まあ、「スター・ウォーズ」の監督のジョージ・ルーカスは、キャリー・フィッシャーがそんなパパもママも有名人だったって事で、「他人に命令するのに慣れてそう」という理由で、最後迄選考に残っていたジョディ・フォスターではなく、彼女をレイヤ姫に選んだそうですが、このキャリー・フィッシャーのパパとママ、そんな「生易しい」人生を送っていないんですね(汗)、、、。



パパのエディ・フィッシャーはデビー・レイノルズと離婚後、生涯で8回結婚し7人の男と結婚生活をしたエリザベス・テーラーの4度目の結婚相手に選ばれますが、その後リチャード・バートンにエリザベス・テーラーに乗り換えられ、あえなく離婚。

ヒット歌手で有名人だったエディ・フィッシャーのキャリアは、だいたいこのへんの1960年代に入って終ってますので、日本でエディ・フィッシャーを知ってる音楽ファンて、今、殆どいないですね(汗)。彼の「オー!マイパパ」(Oh! My PaPa)を知ってるのは、2016年の今現在、還暦まで秒読みか?還暦を越えてる方だけでしょうね。

一方ママのデビー・レイノルズも、金持ちの男との再婚、離婚を繰り返しており、娘のキャリー・フィッシャーは、あんまり幸せな娘時代は過ごしてなかったそう。





posted by 麻呂 at 16:40| 和製ポップスヒット 原曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月03日

日本ではマンボの王様ペレス・プラードのカヴァーで知れ渡り、西田佐知子さんの日本語カヴァーで大ヒットした「コーヒールンバ」は、元々はベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニが作った曲









「コーヒールンバ」(Coffee rumba)は、和製ポップス(洋楽メロディに日本語詞をのせるソレ)全盛時代の1961~62年にかけ、西田佐知子さんが日本語でカヴァーし大ヒットさせており、その後、1990年代になって荻野目慶子さんもカヴァーしているので、わりとオールディーズに詳しくない方でも、聴き覚えのある曲ですね。

原曲はベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニが1958年に作曲した「Moliendo Café」(モリエンド・カフェ)で、甥のスペイン語でハープの事だそうな「アルパ」という楽器を奏でるウーゴ・ブランコの演奏で世界的に知られるようになった曲だそうですが、まあ、特に日本の場合、当時日本のナイトクラブ、グランドキャバレー、ダンスホール、ミルクホールで遊ぶ粋人達に、圧倒的に人気だったキューバ出身のマンボ王!、ペレソ・ブラードのカヴァーで知られるようになったと思われます↓。





当サイトで繰り返しておりますが、1950年代半ばから後半にかけての空前のR&R(R&B)ブームが、その後のポップスシーン、大衆音楽の流れをかえたのは間違いのない歴史の史実ですが、同じ時期にペレス・ブラードのマンボも、かなりアメリカでも流行っており、R&R、ロカビリーファンにはお馴染み!ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は1955年の年間ビルボードチャートの2位であり、堂々年間1位は、ペレス・ブラードの「セレソローサ」。

で、日本にはその1956年にペレス・プラードは楽団を引き連れ来日。各地で公演を行っているので、ちょっとR&R、ロカビリー、ウエスタンが「子供っぽく」感じた、もう少し年上の音楽好きの粋人達は、ジャズは勿論、こちらのペレス・プラードのマンボに感化されていたので、彼等のカヴァーで「コーヒールンバ」(Coffee rumba)は知れ渡ったのだろうと、予測できます。



posted by 麻呂 at 00:00| 和製ポップスヒット 原曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

日本では越路吹雪さんのカヴァーで有名になった、R&Bのザ・ドリフターズの放った名曲「ラストダンスは私に」(Save the Last Dance for Me)









1961年の「紅白歌合戦」で越路吹雪さんに歌われ、その年大ヒットした「ラストダンスは私に」(Save the Last Dance for Me)は、ある年齢層より上の方には、日本では越路吹雪さんの歌であり、オリジナルがアメリカのR&Bグループ、ザ・ドリフターズだと知ってる人はとても少ないです。

又、越路吹雪さんのオリジナルではない事は知っていても、越路吹雪さんの影響で原曲はシャンソンと思ってる方も多々いるほど、越路吹雪さんのイメージのとても強い曲で、又、当サイトで繰り返し解説しておりますが、日本でR&Bという言葉が普及しだすのは、1960年代後半になってのグループサウンズブームからで、それ以前からレイ・チャールズは日本でも人気がありましたが、彼はジャズととらえられており、1960年前後、R&Bという言葉は、少なくとも日本では一般的ではなかったので、そう思われてる方が、ある年齢以上だと多いのでしょう。

もっと極論を言えば、今のようにR&Bという言葉が日本全国に広まるのは、宇多田ヒカルさんが話題沸騰になり商業的大成功を収める1999年の後、和製R&Bなるムーブメントが起きてからの、わりと近年の事で、グループサウンズ以降の1970年前後も、日本でR&Bを知ってる、好んでいたのは、ちょっと「とっぽい」連中やコアな黒人音楽ファンだけで、あまりR&Bという言葉は一般的ではなかったです。



で!当サイト運営者は子供の頃TVでみた、ショートカットに濃い化粧でドレスを着て踊りながら歌う越路吹雪さんは、子供の眼には異様な光景で、これは越路吹雪さんを揶揄中傷してるわけではなく、それほど「水商売」の歌謡芸能の世界でも!ずば抜けて彼女はド派手で、また、当時の一般人とはかけ離れた雰囲気をかもしだしてたから、独特のオーラを放っていたからで、今のように芸能人、タレントも一般人も、あまりかわらない衣装や化粧や髪型の時代の若者には、おそらくわからない感覚でしょう。



何にしても越路吹雪さんが、殆どリアルタイムにアメリカのR&B、「ラストダンスは私に」(Save the Last Dance for Me)をカヴァーし日本語で歌ったのは、歴史的にみても素晴らしい事であり、この後、売れっ子作詞家になる作詞の岩谷時子さんともども、栄光の歴史と思います。





posted by 麻呂 at 00:00| 和製ポップスヒット 原曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん