2015年10月18日

1973年、人気絶頂だった!カーペンターズのアルバム「ナウ・アンド・ゼン」のB面でカヴァーされ、日本でも有名になったボビー・ヴィーの「燃ゆる瞳」 (The Night Has a Thousand Eyes)



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日本公開は1974年の映画「アメリカン・グラフィティ」と共に、日本に「オールディーズ」という文化を決定的にした功労者!、カーペンターズが1973年の「ナウ・アンド・ゼン」のB面のカヴァー集で歌った事で、特にカーペンターズファン中心ですが、日本でも有名になったボビー・ヴィーの「燃ゆる瞳」 (The Night Has a Thousand Eyes)↑。



当サイト運営者、この手のバイクやサーフィン、ギターもって歌う男と踊る水着ギャル満載の当時のPVや映画、大好きなのですが(笑)、でも、このボビー・ヴィーの「燃ゆる瞳」 (The Night Has a Thousand Eyes)って、リアルタイム日本では必ずしもヒットしてないんですね。

時代は1963年、、、サーフィン・ホットロッド、アネットのビーチコメディ映画が人気だった時代背景を考えると、このPVの「創作」過程がなんとなくわかります(笑)。

で、こちらボビー・ヴィー、、、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ボッパーが飛行機事故で死亡した時の「次のショー」のその穴埋めをした方で、その時彼は未だ素人同然の15才(16才になる直前ですが)。

結局、これをきっかけにボビー・ヴィーはその後、商業的大成功を収めるわけで(日本ではイマイチ当時も今も人気がない)、彼は2011年には、ロカビリーの殿堂入りを果たしてます。

で、

1980年代初頭活躍した日本のジューシー・フルーツが、「燃ゆる瞳」 (The Night Has a Thousand Eyes)をカヴァーしてますので、ジューシー・フルーツファンや当時のテクノ歌謡ファンの方には、聴き覚えがある曲かも知れないですね。





posted by 麻呂 at 00:00| ジーンヴィンセント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月30日

「ダイアナ」のポール・アンカが作った「史上最大の作戦マーチ」









1962年、世界でも日本でも大ヒットした、当時のオールスター映画「史上最大の作戦」(The Longest Day)。

こちらの有名な!「史上最大の作戦マーチ」(The Longest Day MARCH)は、この映画に出演したオールスターの一人、オールディーズファンにはお馴染み!「ダイアナ」のポール・アンカが、映画の撮影中にこの曲を作詞・作曲し↑、ミッチ・ミラーが↓行進曲風に編曲したと伝わっており、ポール・アンカは当時21才!。





まあ、今にして思うと大東亜戦争日本敗北から僅か17年、如何に日本、日本人とは欧州戦線は関係が深くなかったとは言え、大戦当時は同盟国だったドイツが負け、米英=連合軍の勝利を描いた映画の「史上最大の作戦」(The Longest Day)の映画&音楽を、こうも簡単に受け入れたもんだなーと思いますが(汗)、、、

当時の日本は、和製ポップス(洋楽メロディを日本語詞にのせるソレ)ブームで、「史上最大の作戦」(The Longest Day)の主題歌マーチを、克美しげる氏が日本語でカヴァーし歌い、♪いつもー戦いは つらい ものだぜー の歌詞も幅広く知れ渡りました。



まあ、同じノルマンディー上陸作戦を描いた映画でも、後発の「プライベートライアン」に比べると、一応は戦争の悲惨さはだしてる反戦映画ですが、まだまだ第二次世界大戦の連合軍勝利から17年後の映画ですから、戦争の悲惨さ反戦度は「史上最大の作戦」は及びませんが、1972年にTV朝日「日曜洋画劇場」で前後編2週に分けられ「史上最大の作戦」を放映した時は、当時の洋画TV放送最高視聴率を後編で記録しており(27.2%)、まあ、所謂オールスター映画、ポール・アンカもちょい役ですが出演しているので娯楽映画として観る分には、今でも面白い映画だと、当サイト運営者は思っております。

ちなみに昨今、リメイクされた「日本のいちばん長い日」という映画の原作タイトルは、こちらの「史上最大の作戦」=「The Longest Day」を参考にしたと、原作者の半藤一利氏は述べてますね。



posted by 麻呂 at 00:00| ジーンヴィンセント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

ジョン・レノンのプラスチック・オノ・バンドが出演、1969年に実施された「トロント・ロックンロール・リバイバル」の意義。You Make Me Dizzy Miss Lizzy - John Lennon - Toronto 1969









1969年8月、アメリカのニューヨーク州で行われた「ウッドストック・フェスティバル」で、R&Rリバイバルバンド、シャナナが、当時のヒッピーフラワームーブメント1色の会場の中、異色ぶりを放ったその1月後の9月、カナダのトロントで「トロント・ロックンロール・リバイバル」というイベントが行われております。

まあ、だいたいこのウッドストックのシャナナとトロントのロックンロール・リバイバルが「R&Rリバイバル」が世界的に広まった最初の時期だと記録を調べると思えるわけで、これは1967年のザ・ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」以降、ロックグループのトータルアルバム作り、或いはクラシックのオーケストラの導入、競演、クラシカルな要素をロックにとりいれようとするムーブメントに対する、1つのアンチテーゼで起きたと思われます。

ザ・ビートルズ正式解散前、こちら「トロント・ロックンロール・リバイバル」登場のプラスチック・オノ・バンドを率いるジョン・レノンの衣装、ザ・ビートルズファンならおわかりな通り、アルバム「アビーロード」で例の横断歩道を渡ってるソレ。

リードギターのエリック・クラプトンは、クリーム解散からスーパーバンドと世界中の話題をさらったブラインド・フェイスが、僅か数ヶ月で空中分解してしまったその直後で、ベースのクラウス・フォアマンは、こちらもザ・ビートルズファンにはお馴染み、アルバム「リボルバー」のジャケットを描いた人で、公式デビュー前からのザ・ビートルズファンであり友人。

ドラマーのアラン・ホワイトはこの後、イエスに参加。





なかなかロックファンには興味深いメンバーになっておりますが、まあ、セッションですね。当時はこのライブが収録されてるアルバム「平和の祈りをこめて」(Live Peace in Toronto 1969)はロックファンに絶大なる支持を受けましたが、時の流れで当時の支持、人気はこのアルバムは失ってます。

当時はブラインド・フェイスに代表されるような「スーパーバンド」ブームで、ザ・ビートルズのジョン・レノンとクリーム、ブラインド・フェイスのエリック・クラプトンが同じステージにたっただけでも「スーパーグループ」そのものだったので、ロックファンは「何かが起きるのではないか?」「何か起きたのではないか?」と思いアルバムを購入したわけですが、、、今やR&R、オールディーズファンに、こちらのイベント、アルバムが語られる事はないですね、、、まあ、何か起きていたかいなかったかの判断は、聴く方々の判断という事で。

posted by 麻呂 at 00:00| ジーンヴィンセント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん