2016年03月21日

1988年の布袋寅泰氏のカヴァー&ライブ演奏で、日本でも多くの人の知られるようになった、エディ・コクランの「カモン・エブリバディ」Eddie cochran C'mon everybody









今でこそ古のR&Rと言えば、その筋のコアなファンや楽器を奏でるロッカーなら、エディ・コクランを知らなかったら「もぐり」なわけですが(笑)、案外リアルタイム50'sの日本では認知度が低かったロッカーだったのが現実で、このへんはこちらで能書きほざいてますので、興味のある方は参照してくださいませ。

日本でエディ・コクランに認知度が一気にあがったのは、ボウイを解散した布袋寅泰氏の1988年のソロアルバム「ギタリズム」で、エディ・コクランの「カモン・エブリバディ」(C'mon everybody)がカヴァーされ、布袋寅泰氏のライブパフォーマンスからと、当サイト運営者は断定しております。





とはいえエディ・コクランの「カモン・エブリバディ」(C'mon everybody)は、日本でも人気だったエルヴィス・プレスリーの1960年代の映画「ラスベガス万歳」で、エルヴィスがカヴァーして歌っていたので↑、この映画を観たエルヴィスファン、或いはアン・マーグレットファンなら、よ〜く知ってる曲なわけですが、それはエルビスナンバーとして認知していたのであり、このへん70'sのロックキッズ、ギター小僧がエディ・コクランの「サマータイム・ブルース」を、ザ・フーヴァージョンで認知してたのと、よく似てる現象だと言えます。







posted by 麻呂 at 13:53| エディコクラン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月08日

1960年、イギリスツアー中に交通事故死したアメリカのロックンローラー!エディ・コクランの、そのイギリスでの影響力 その2







昨日の続き

エディ・コクランのカヴァーもやっていた、ブライアン・セッツアー率いるストレイ・キャッツ登場の1980年以降迄、何故?日本でエディ・コクランは認知度が低かったのか?知られていなかったのか?は、案外簡単で、まず第一にリアルタイム日本のロカビリーブーム、和製ポップス(洋楽メロディを日本語詞にのせるソレ)ブーム期、エディ・コクランはバディ・ホリーやチャック・ベリー同様、必ずしも日本で売れておらず知られていなかった。

第ニに、日本でチャック・ベリーやバディ・ホリーの曲や名前が知られるようになったのは、日本レコード発売は1964年からのザ・ビートルズのオリジナルレコードでカヴァーされたからで、残念ながらエディ・コクランの曲をザ・ビートルズは公式レコードでカヴァーしていなかったから。

第三に、日本で「オールディーズ」「50's」というジャンル、音楽を決定的にした1970年代初頭のカーペンターズのアルバム「ナウアンドゼン」、映画「アメリカン・グラフィティ」で、エディ・コクランの曲が使われていなかったから。

この3つが要因なわけで、もし!コアなザ・ビートルズファンには当時から有名だった、ジョン・レノンがポール・マッカートニーと初めて会った時、ポールがギターを持って歌った↑エディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」が、ザ・ビートルズのアルバムで公式にカヴァーされていたら、エディ・コクランはもっと早く!日本でも知名度は高かったでしょう、、、。

また、カーペンターズはともかく、「アメリカン・グラフィティ」でジョージ・ルーカス監督が、エディ・コクランの曲を1曲でも使っていたら!もっと早く、日本でも彼の名前は一般的になっていた事でしょう。





ちなみにザ・ビーチボーイズもアルバム「サーフィン・サファリ」でエディ・コクランの「サマータイム・ブルース」をカヴァーしてるのですが↑、当サイトでこれも再三再四繰り返してますが、今は日本もザ・ビーチボーイズはアメリカンバンドのレジェンド扱いですが、1960年代の日本でザ・ビーチボーイズは必ずしも流行っていなかったので、殆どの日本人はザ・ビーチボーイズの「サマータイム・ブルース」など知りませんでした。

だから!イギリスツアー中、アメリカのロックンロールスター!エディ・コクランが交通事故死してしまったイギリス人と(アメリカ人も)、リアルタイムから1970年代まで、エディ・コクランの認知度の低かった日本では、彼の印象、イメージは相当!違うわけで、イギリス人のジェフ・ベックがエディ・コクランの信奉者のブライアン・セッツアーと仲が良い、彼の曲をともに演奏するのも↓、若き蒼きジェフ・ベックも又!1960年のエディ・コクラン、ジーン・ヴィンセントのイギリスツアーに、多大な影響を受けていた証明ですね。



まあ、何にしても古のニューロックファン達には、ザ・フーがカヴァーした「サマータイム・ブルース」、コアなザ・ビートルズファン達には、ジョン・レノンがポール・マッカートニーと初めて会った時、ポールがエディ・コクランの曲をやってた「伝説」以外で、日本でエディ・コクランの名を今のように復活させ有名にしたのは、ストレイ・キャッツを率いたブライアン・セッツアーの、1980年以降の大功績だと言えます。

ちなみにこちら↑ジェフ・ベックが青い帽子を被ってるのは、ジーン・ヴィンセントが率いていたバンド、その名も!ブルー・キャップスのメンバー達が被っていた青い帽子の、オマージュですね♪





posted by 麻呂 at 00:00| エディコクラン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月07日

1960年、イギリスツアー中に交通事故死したアメリカのロックンローラー!エディ・コクランの、そのイギリスでの影響力 その1



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アメリカでR&R(R&B)ブームが最も盛況だったのは1955~58年と伝わっており、1959年になるとエルヴィス・プレスリーが徴兵され(当時のアメリカは徴兵制だったから)兵役につき、飛行機事故でバディ・ホリー等が死亡。チャック・ベリー、ジェリー・リー・ルイスが微罪で逮捕された事をきっかけに、アメリカではR&R(R&B)ブームは終焉に向かっていたとか。

で、アメリカで「商売がしずらくなった」エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセントは、まだまだR&R(R&B)人気の続いていた欧州ツアーにで、大歓迎&熱狂で迎えられたそうなイギリスツアー中の1960年、ジーン・ヴィンセントと婚約者でソングライターのシャロン・シーリーと乗り合わせたタクシーが街灯に衝突して大破。

同乗していた二人は一命をとりとめたものの、エディ・コクランは21才の若さで亡くなっています。

アメリカのロックンロールスターが、自国イギリスで交通事故死してしまった事は、このエディ・コクランとジーン・ヴィンセントのイギリスツアーは、1960年代半ばから後半、ブリティッシュロックムーブメント吹き荒れるそれの「ロックスター」になる若者達に強烈な「洗礼」を与えたと伝わっているので、おそらく、多分、日本人が思う以上に、イギリスではエディ・コクランというロックンローラーは、重要な位置ずけにいる方だと思われます。

まあ、リアルタイム当時、日本でエディ・コクランが売れてたか?人気があったか?ちょっと微妙な所があり、これはバディ・ホリーやチャック・ベリーしかりですが、あまり1950年代後半から60年前後の日本のロカビリー、和製ポップス(洋楽メロディを日本語詞にのせるソレ)ブームの頃、エディ・コクランも、それほど日本では知られていなかったと思われ、なんといっても2015年現在、推定還暦前後から50代後半の古の1970年前後から70年代初頭にかけてのニューロックファンにとって、エディ・コクランの曲と言えば、イギリスのザ・フーのカヴァーした「サマータイム・ブルース」↓だと思われます。



この映像&音源は映画「ウッドストック」でも使われたので、多くのロックファンには定番になってると思いますが、ザ・フーのカヴァーにより、殆どの日本の音楽ファンは「サマータイム・ブルース」を知ったわけで、1980年代になってエディ・コクランを敬愛するブライアン・セッツアーがストレイ・キャッツで登場するまで、日本ではエディ・コクランは実はあまり有名ではなく、彼の曲と言えばザ・フーがカヴァーした「サマータイム・ブルース」ぐらいしか知られておらず、まあ、つのだ☆ひろ氏のスペースバンドや子供バンドが日本語で「サマータイム・ブルース」をカヴァーしておりましたが、元ネタは共にザ・フーのカヴァーであり、エディ・コクランではなかったです。

まあ、あとエディ・コクランの名を当時知っていたとすると、熱烈なザ・ビートルズファン達ぐらいで、それはジョン・レノンがポール・マッカートニーとはじめで出会った時、ポールがエディ・コクランの曲を演奏していたという「伝説」があるからで、実際にはリアルタイム1950年代後半から1970年代にかけ、エディ・コクランは日本では必ずしも!有名なロックンローラーではなかったと、当サイト運営者は断言いたします。

続く



posted by 麻呂 at 01:00| エディコクラン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん