2015年11月27日

1920年代、まず欧州で流行ったそうな古い女性観を否定した「新しい女性」フラッパーを抜きにして、世界のサブカルチャーの近代史は語れない。



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50年代後半のR&R(R&B)ブームは、その後のポップミュージック、ロックシーンの歴史に多大な影響を与えたわけですが、その50年代も突然ふってわいてきたわけではなく、そこに至る迄のポップカルチャー、サブカルチャーの歴史があるわけで、こちらフラッパーもしかり!。

それまで女性らしいとされてきた装いや行動様式ではなく、膝丈の短いスカート、ショートヘアのボブカット、ジャズ音楽などを好んで、濃いメイクアップで強い酒を飲み、性交渉、喫煙、ドライブを積極的に楽しむという、以前までの女性に求められてきた社会的、性的規範を軽視した女性たちを意味するフラッパーは、1920年代の欧州で流行りだしたそう。

1920年代というのは第一次世界大戦後ですから、随分と昔の話し。



映画「タイタニック」でお馴染み、タイタニックの沈没が1912年で、映画のラストで、ドーソンとの政略結婚をしなかった若きローズの、その後の「やんちゃ」な人生を、ジェームス・キャメロン監督は写真にしてみせてますが、実際に女性が西欧白人の世界でもある種「開放的」になったのはこの時期で、1945年の第二次世界大戦以降でもなければ、ましてや1960年代後半のウーマンリヴでもないんですね。

勿論、日本の東京、当時の銀座、浅草にも、かなりフラッパーの影響を受けてると思われる「モダンボーイ」「モダンガール」、所謂モボ、モガが流行っていましたし、ダンスミュージックとしてのジャズも既に入ってましたから、ありがちな錯覚ですが、大東亜戦戦争敗戦後、占領軍のアメリカの日本への影響力は当然否めませんが、既に大東亜戦争以前から、日本は欧米、特に!欧州国の文化を自然に受け入れていたんですね。

でなければ明治維新、鹿鳴館なんて話し、成り立たない(笑)。

唯、大東亜戦争が4年も続いたのと、それ以前の支那事変から数えると8年も戦争の時代が日本は、1930年代後半から1945年迄続いていたので、それ以前の華やかなりし日本が、戦後日本人はわからない、知らない人が多いんですね(かなりいい年でもです)。

で、アメリカはといえばアル・カポネの時代、ギャングとジャズと禁酒法とフラッパーの時代。この頃のダンスミュージックとしてのジャズ、そしてフラッパーという女性達を抜きにして、その後のR&R(R&B)ブームは語れないんですね。





posted by 麻呂 at 00:00| JAZZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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