2015年11月07日

1960年代初頭のアメリカンサウンドの功労者、「ウォール・オブ・サウンド」のフィル・スペクターの数奇な人生









R&R(R&B)ブーム最中の1958年、若干17才のフィル・スペクターがハイスクール仲間と共に結成したグループ「ザ・テディ・ベアーズ」の、こちら「会ったとたんに一目惚れ」(To Know Him Is To Love Him)。

その後の「天才!」フィル・スペクターを暗示させるように、結成即!全米ビルボードチャート1位に輝いた曲ですが、グループは1959年には活動停止。フィル・スペクターはここでシンガー、ミュージッシャンではなく音楽プロデューサーへの転身をはかるわけですが、まだこの時「天才!」フィル・スペクター、二十歳前、、、。

1961年にフィレス・レコードを立ち上げた時でも、フィル・スペクターは未だ21才。





で、音楽プロデューサーとしてのフィル・スペクターの名を不動のものにしたのが、1963年の↑こちらロネッツの全米ビルボードチャート、最高位2位を記録した「ビー・マイ・ベイビー」。

フィル・スペクターの、当時としては画期的な録音作業、録音方法だった「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」は一世を風靡します、、、と書いていてなんですが、これはだいたい、特に日本人には「後追い」情報で、普通の日本の洋楽ファン、音楽ファンが彼の名前を初めて聞いたのは、解散間際のザ・ビートルズのアルバム「レット・イット・ビー」のプロデュース、、、というか、既に仲違いで不穏な空気になってたメンバー含め、誰も手をつけなかった「ゲットバック・セッション」の膨大な録音音源を編集した「仕事」が初めてなのが普通で、彼がここまで後世に日本で名を残せたのは、多分に!大瀧詠一氏の彼に対する思いの発言、彼に影響を受けた仕事の影響で、これは同じく大瀧氏と山下達郎氏のソレで、後追いで「ザ・ビーチボーイズ」「ブライアン・ウイルソン」信者になった層と、全く同じ現象と言えるでしょう。

で、ロネッツのリードシンガー、ヴェロニカ・ベネットはのちにフィル・スペクターと結婚しますが、後に離婚。フィル・スペクターはこの離婚した1970年代半ば頃から「奇行」が目立つようになり、ザ・ビートルズのメンバーではジョン・レノンとジョージ・ハリスンが彼の「仕事」が好きだったようで(ザ・ビートルズの音楽プロデューサー、ジョージ・マーチンは嫌な気分だったろうね)、ジョンとジョージのアルバムも手がけてましたが、ジョン・レノンのアルバム「ロックンロール」の頃には、ジョンとフィル・スペクターの蜜月は終っており、このアルバムが一悶着あったのは、ファンの方なら釈迦に説法でしょう。

まあ、フィルは麻薬の常用もあってか?1980年初頭の早くに、音楽業界から身を引かざるをえなくなったようで(仕事も不調になったそうだし)、音楽ファンが彼の名を久々に聞くのが2003年、女優ラナ・クラークソン射殺容疑の逮捕、、、。

すったもんだの裁判の末、2009年、第2級殺人罪で有罪、禁固19年の実刑判決。現在はカリフォルニア州立刑務所の薬物中毒治療施設に収監されているとか、、、。



posted by 麻呂 at 00:00| アメリカンポップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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