2017年07月01日

江利チエミさんのカヴァー「家においでよ」の大ヒットで有名な元歌は、ジョージ・クルーニーの叔母様、ローズマリー・クルーニーの「Come On-a My House」









当時15才だった江利チエミさんが、彼女の生涯の代表曲だった「テネシー・ワルツ」とカップリングで1952年に発表した邦題「家においでよ」の大ヒットで、日本でも広くしられた「Come On-a My House」。

この曲は第二次世界大戦以前に作られた曲なようですが、1951年に全米チャート1位に輝く最初の大ヒットをさせたのが、日本でもこちらも人気のジョージ・クルーニーの叔母様、ローズマリー・クルーニーのヴァージョン↑。

さて1951年と言えば、日本は大東亜戦争敗戦後アメリカの占領下から、かりそめにも再独立が認められる条約、「サンフランシスコ講話条約」が締結された年。

「テネシー・ワルツ」だけではなく、1960年代の和製ポップス(洋楽を日本語で唄うそれ)ブームの頃は、オリジナルよりも日本語で唄われた楽曲、歌手の方が有名で、あんまり当時の日本人は、元のオリジナルの洋楽には興味がなかったみたいですね。

だから、、、

江利チエミさんの「家においでよ」は日本では有名でしたし、2017年現在、60代半ばから70代の方は、だいたいこの曲は聴き覚えはあると思われますが、当時全米1位を獲得した、ローズマリー・クルーニーの「Come On-a My House」を知ってるお年寄りは、かなり少ないと思われます。

また、もっと若い世代でも人気俳優のジョージ・クルーニーは知ってても、その叔母様のローズマリー・クルーニーは、全く知らなかったりするわけですが、江利チエミさんに限らず、当時の日本の歌謡歌手の方=ジャズ歌手の方は、かーなりこちら「Come On-a My House」、ながーい間レパートリーにしておりましたので、ローズマリー・クルーニーが戦後日本の歌謡史に、結果として影響を与えたと言えるわけであります。




posted by 麻呂 at 17:05| 和製ポップスヒット 原曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

かまやつひろし氏他界 1970年、ザ・スパイダースが最後に発表したアルバム名は「ロックンロール・ルネッサンス」。









元ザ・スパイダースのかまやつひろし氏がお亡くなりになりました。享年78才、心よりご冥福をお祈りいたします。

グループサウンズブームが急速に終焉し、ザ・スパイダースも解散する事になった1970年。ザ・スパイダースが最後に発表したアルバム名は「ロックンロール・ルネッサンス」。

今やオールディーズ、R&R、50'ファンには定番となってる「 ロック・アラウンド・ザ・クロック」や、チャック・ベリーの「キャロル~ロール・オーヴァー・ベートーベン」、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリー等のカヴァーを中心にしたアルバムで、キャロルがファーストアルバムのB面でR&Rのカヴァーを集め発表したのが1973年の春でしたから、それより3年前に、こんなアルバムを最後に解散したザ・スパイダース、今更ながら、オールディーズ、R&R、50'ファンは再評価した方が良いでしょうね〜。

リアルタイム、グループサウンズブームの終焉の仕方は異常とも思えるソレだったので、このザ・スパイダースのラストアルバム、知ってる方殆どいないですから(汗)。

ちなみにグループサウンズブーム期のザ・スパイダースのシングル「黒ゆりの詩」のB面にも、「ロックンロール・ボーイ」という素晴らしい和製オリジナルロックンロールナンバーが収録されており、「バンバン」や「フリフリ」は、わりと有名ですが、こちら「ロックンロール・ボーイ」は御本人達も解散後、歌番組で歌う事がないので、認知度の低い曲ですが、和製オリジナルロックンロールの名曲です。




posted by 麻呂 at 09:12| 和製R&Rリバイバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

スキータ・デイヴィスがヒットさせた「この世の果てまで」(The End of the World) の、ジュリー・ロンドンヴァージョン









1963年に、かの!チェット・アトキンスがプロデュースしたそうな、スキータ・デイヴィスがヒットさせた「この世の果てまで」(The End of the World) 。こちらは当時、日本で人気の高かったジュリー・ロンドンのヴァージョン。

当サイト運営者が幼少の頃、TVでよーく日本の歌手、この曲を歌ってましたが、ジュリー・ロンドンは1964年の東京オリンピック開催の年に来日しており、TV出演もしていたので、よってスキータ・デイヴィスより彼女のヴァージョンが当時の日本では人気だったよう。

ジュリー・ロンドンは、日本でも人気番組だったアメリカの「ルート66」のテーマ曲を作ったジャズピアニストのボビー・トゥループの奥様で、そのスモーキーボイスと言われる歌唱は、日本の当時のジャズ、ポップスファンに人気でした。

まあ、当サイトでも再三再四触れておりますが、映画「アメリカン・グラフィティ」同様、アメリカでも日本でもその後の「オールディーズ」というジャンルを1970年代初頭に決定的にした、カーペンターズのアルバム「ナウアンドゼン」のB面に「この世の果てまで」(The End of the World) は収録されていたので、カーペンターズで知った方も多いと思われますし、又、日本の竹内まりやさんも自身のアルバムでカヴァーしてますので、そちらで知った方も多いかもですね。



posted by 麻呂 at 08:52| アメリカンポップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ぴかぴか(新しい)こちらもおススメでするんるん